吾輩は猫である

一研究者・教育者の意見というブログがあって、ブログ主はどこかの大学の研究室を主催する教授クラスの方のようで、例えば研究費の配分などで良い意見を吐くことがある。このブログを立ち上げたのはSTAP細胞事件がきっかけで、小保方擁護派でも批判派でもないと自称しつつ、擁護に傾き、上から目線の意見を出すのだ。管理者は小保方さんの最初の記者会見で魅了されてしまったジジイ群の一人と思っている。このブログのコメント欄に、在米ポスドクと称する方がしばしば訪れて、管理者からみると、適切な意見を述べている人の一人だ。というか、コメント欄に投稿している中で、最もまともな意見を述べている方と思っている。

この方が、なんと、この書きなぐりブログを見つけてコメントしてくれた。管理者の計算ミスを指摘してくれたのだ。そのあとのコメントに「コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫する」クシャミ先生を思い出すとあったのだ。なんか、博識の方ですな。吾輩は猫であるを最後に読んだのはいつかな?こんなフレイズがあったことなんか覚えていないな。

アバタの偏屈な胃が弱いノイローゼか。アバタはない。時代がちがうから天然痘に感染したことはない。偏屈…あるかも。胃潰瘍の経験があるから胃が弱いも当たっている。ノイローゼ…最近はこの言葉をつかわないけど、ま、これは違うようだ。のーてんき だからね。

「吾輩は猫である」への2件のフィードバック

  1.  タカジヤスターゼを飲まないと!
     あちらの先生は準公務員であるのと、学内の問題を以前あげてしまったのでずっと匿名なのです(それこそ大学の名誉問題になってしまう)。
     「偏屈」に見られてしまうのは「現状を打開する道筋を示せず、示してもリーダーシップ(非公然を含む)を発揮できないにもかかわらず、正論は述べるけども、組織全体の発展に寄与していない」方に多く見られますな。
     自分自身を「単なる駒」として割り切れば、開ける道もあるものを、あくまでも自分自身のこれまでの生き様にこだわるあまり、時に「擁護派」などと勘違いされておられる。
     「いまさら自分のスタンスは変えられない」と思い込んでおられるのかもしれませんが、その程度の自己変革など周囲から見れば「あの先生もずいぶん丸くなられた。」とばかり、いとも簡単に受容され、たちまち指導力を発揮できるのに、もったいないことです。

  2. なんかクシャミ先生の時代になってタカジアスターゼですか。いまどき売っているのかな?三共が錠剤を売っているみたいだ。
    そうですか。自分で殻をつくっちゃうと、訂正もできなくなっちゃうしね。正論を述べても組織は動かないというのは、しばしば経験しておりますが、それでもめげずに発言しています。3年くらいたったら動くようです。

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