東南アジア風スープ・カレー

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チキンカレーです。生姜千切りと赤唐辛子と豆板醤を油で炒めて香りをだしたら、一口大にぶつ切りにした鳥もも肉を皮が鍋あたるように入れて、皮目を先にすこし焦がすようにいためます。なす、赤ピーマン、黄ピーマン、ヤングコーン(袋詰め)を同じくらいの大きさにぶつ切りにして加え、ココナッツミルクを加えて、炊きます。鶏ガラスープの素を加えます。カレー粉、ガラムマサラを加えて、盛り付けるとき三つ葉を散らします。

FD・SDという研修

大学の教員の研修をFD(Faculty Development)、職員あるいは教員も含めた研修をSD(Staff Development)といって、どこの大学でも実施している。いつからか文科省がやれということで、有名国立大学では、名ばかりで実質的には実施していないところもあるようだが、中小の私立大学では実施しないと文科省ににらまれ、大学の存続に繋がるのだ。

あっちの大学でも昨日の土曜日にあったわけだ。平日は授業があるので土日開催となるわけだ。当然、出欠を記録し、学部学科別出席率が計算され偉いさんの委員会等でなんとか長が嫌な目に会いたくないので、各学部で出席が強要される。

今回のテーマは、キャリア教育と学生相談室の学生への対応、中途退学防止方法の3つだ。後ろ2つは学内の教員等のレクチャーで、だから当然本学の学生に沿った内容でそこそこだった。最初のキャリア教育については学外から講師を招いての、一方的なレクチャーでなんと2時間もある。講師の用意したパワポのスライドは70枚を超える。そのスライドのサンプルは

20151122BadPresentation-1

とか

20151122BadPresentation-2

だ。最初のスライドはわかるよね。何が悪いか。あまりにも文字数が多いのだ。読めないのだ。配布資料でも、パワポに備わっている資料作成プログラムで印刷したので、余白が大きくなってしまって文字が小さく読めない。どうやったらスライドをパワポのデフォルトではなく余白を小さくし図を大きくした資料を作成できるかは、以前書いた。どうやら最初の図は文科省でのキャリア教育についての答申をスライドにしたらしい。「らしい」というのは前後の話から判断しただけで、その前後の話もよくわからないから、答申をまとめたのか、答申を批判したのかもわからなかった。不明瞭な発言なので資料を読もうとするが、その読もうとしたスライドは口頭説明では飛ばして説明してくれない。

2時間で70枚は無理でしょ。案の定、何枚もすっ飛ばした。90分の講義でも25枚がいいとこ最大だ。学会発表では10分では最大10枚だけど、学会だからね。専門としている人の集会とは訳が違う。

2枚目のはグラフがあり横にある文字列も読める大きさだ。しかし、グラフの横軸・縦軸がなんであるか、スライドも資料も文字が小さくて読めないし、口頭で説明は一切ない。どうやら、国によって労働観・勤労感が異なるというものらしく。プロットは国のようなのだが、どのプロットが日本なのか全くわからない。この図は資料からスキャンしたもので、確かグラフの右上がブラジル、左下が日本と口頭説明があったようで、書き込みがある。しかし、このグラフで何を説明/主張したいのかわからない。横の文字列についてはグラフとの対応についての説明がないから、このスライドを示している目的が理解できない。「ビルゲイツは大金持ちなのにまだ仕事をしている」はいいでしょ。事実だから。だからなんだというのだ?それを話せよな。

2時間もついやして、なにやら喋っていたのだが、最後の結論もさっぱり理解できないというか、結論があったんだろうか?管理者だけの感想ではなく、帰りに複数の同僚と話した結論も同じだ。

この人は九州大学のなんとか教育研究センター長・教授なのね。こういう奴にこそ、FDとしてプレゼンテーションのリテラシーを教えるべきだ。説明にでてききた引用も1937年の大学と社会のつながりとかいう外国論文だぜ。戦前だぜ。どうやら教育学という分野ではこんなものらしい。

教育学を教えているからといって教育方法を習得しているとは思わないけど、それにしてもひどかった。学長のお友達かもしれないが、そんなことで講師を選んで欲しくないね。2時間座っているのが苦痛で、隣にたまたま座っていた助教?のお嬢さんに、今回のFD・SDのアンケートの自由記載欄にボロクソに書いてやったのを見せてクスクスやっていたよ。それにしても、皆さん我慢強いですね〜。管理者はそれでもなんとか理解すべくスライド、口頭説明、配布資料から何が言いたいことなのかを考えたのだが、できなかった。

つらい午後だったな。

[ 追記 ]2016年1月14日

この公演についての評価が出た。

20160114evaluation

このFDに参加した161名の評価は、とても満足と満足を合わせると60%になる。信じられない。管理者は当然「とても不満」を選び、自由記載欄にはボロクソにコメントしたのだが…

まともに聞いていないんだな。きっと。内容を理解できたんだろうか。アンケートにはいい加減に答えたんだろ、きっと。学生アンケートに学生がすべての項目に3の「どちらとも」なんていうところにマークしたら怒り狂うくせに。どうやや聴衆(教員)の程度もこんなもんなんだろ。どっちもどっちなんだ。

 

optimistic pressure

小保方氏の博士号は剥奪され、修士、博士課程単位取得中退となったわけで、これに対して何の異議もない。小保方氏も早稲田大学もめちゃくちゃだったわけで、早稲田大学の博士論文審査のいい加減さが笹井氏の自殺の遠因となったといっても過言でないと思う。もちろん小保方氏のデータ捏造と笹井氏のiPS細胞への対抗心・あせり・すけべ心が、より直接的な原因だろうけど。

一研究者・教育者の意見を愛読しているのだが、ここで、果たして国会図書館に製本納品されているいわゆる「草稿」より進展した審査会提出論文があったのだろうか?が話題になっている。現時点で、存在する論文は、この草稿と、昨年、早稲田大学にメール添付で送付された「小保方主張論文(主張論文)」だけで、ほかの論文が存在したのかわからない。主張論文は国会図書館にある草稿がネットで暴かれ、数々の批判があったあと作成された可能性のある電子ファイルだ。

管理者は、ないという立場だが、一研究者・教育者の意見のブログ主はあると考えている。

早稲田大学の審査員であった、主査=指導教員の常田氏は、研究分野が異なり、理解できていない。同大学の竹岡氏の専門分野も高分子化学・工学で専門外で理解できていない。東京女子医大の大和氏や、ハーバード大のVacanti氏は、再生医療専門なんだろうけど、常田氏は彼らに教育を依頼したわけで、依頼先の専門家がいいというし、副査でもあるので、審査はおざなりだったに違いない。Vacanti氏にいたっては審査なんかやってないというし、サインもない。でたらめだったのがよくわかる。

こういう審査体制で、一研究者・教育者のブログ主は「もし「公聴会時論文」が著作権侵害画像を多く含んでいた「草稿」であったならば、いくら何でも審査委員は調査においてその旨を述べていたはずである。調査委員会は「草稿」と「公聴会時論文」は異なり、共に存在していたと報告している。」というが買いかぶりだろう。調査委員会に対して、常田氏は、読んでないなんて、口が裂けても言えなかったにちがいない。ほんの少しの指摘をもって「読んで指摘した」と言い、審査を実施したとしなければ、1ヶ月の懲戒休職で止まらなかっただろう。「調査委員会は「草稿」と「公聴会時論文」は異なり、共に存在していたと報告している。」も調査委員会の推測だけで、紙の束=提出論文があったことを確認しているわけではない。主査と副査の常田氏と竹岡氏は審査時提出論文を小保方氏に訂正のため返却したらしいが、もう一人の副査の大和氏への事情調査は行われておらず、もしかしたら提出論文が大和氏のところに残っているかもしれない。しかし大和氏は、STAP細胞発表時には饒舌であったが、そのあと病気になったようで一切の発言がないのでわからない。Vacanti氏は副査をやっていないというので論外だ。

早稲田大学 大学院先進理工学研究科における博士学位論文に関する調査委員会 調査報告書 の39ページにお笑いがある。「草稿にoptimistic pressureということばがあり副査の竹岡氏が「osmotic pressure」と変更しろと指摘したと主張するが、公聴会でそのような指摘があったかどうか誰も覚えていない。常田主査はそのような単語を知らなかったから言われても気がつかない。小保方氏も理解できていないから、主張論文で訂正されていなくてもありうることだ」だって。

おいおい、optimistic pressure(楽観圧というんだろうか?)なんて言葉はないから知らないはいいけど、osmotic pressure(浸透圧)は中学生だって知っていることだぞ。小保方晴子のSTAP細胞論文の疑惑 小保方晴子の博士論文について で「optimistic」で検索すると、確かに草稿にあることがわかる。だから竹岡氏が草稿を眺めて、確かに気がついたのかもしれない。optimistic なんて単語は科学論文の方法や結果にありえない単語だからな。しかし、ネットのだれも、osmoticの間違いだと指摘していないので、主張論文はそのままなのだ。これが、主張論文は提出論文ではなく、草稿をネットの指摘から修正したものという証明にもなる。つまり、提出論文なんてなかったのだ。

テラトーマについての議論は、上記報告書の35ページに、「草稿にはない図が、プレゼンテーション資料にあり、このテラトーマの実験は本質的に重要な点であるので、審査会提出論文にもしこの図がなかったら、審査員が気づくはずで、その指摘がなかったので、提出論文があったにちがいない」と推測している。主査の常田氏は工学の化学出身、竹岡氏も高分子の工学で発生学について理解があるかどうかわからない。こういう人がテラトーマの重要性に気がついているかどうか疑問で、提出論文=草稿を眺めただけなので気がつかなくても不思議ではない。

提出論文があった・なかったは証拠がないからどちらの主張も推測でしかないけど、早稲田の審査のでたらめ、小保方氏のずぼらが相まって発生した事件でしょう。

小保方氏は結果が分かっていることを、真面目にやらないのは、STAP細胞増殖カーブ実験でもよくわかります。結果が分かっているというのは小保方氏が誤解していることで、その誤解に基づいた図を作成したりしているのでよくわかりますね。博士論文も博士号を取得できるのが分かっているから、そして、形だけがあればいいのだから草稿をたった2部だけ製本して提出したんですね。2部しか必要としないし、だれも読まないだろうと思っていたからです。自分自身が持っていないとは信じられない行為ですね。

STAP細胞事件でも、「そんなことはしないはず」「こうするはず」「こうなるはず」で誰もチェックすることがないので、捏造が発生しちゃったんですね。ご本人はぼこぼこに叩かれても、なぜ叩かれたのかの反省もなく、めげないようで、それはそれで、もう研究の場には立てないのでいいとしても、早稲田の責任は重いですな。

 

実験ノート

管理者は1年生の生理学実習担当なわけで、実習では実験ノートを記入させることを指導している。

どうせ書かないのはわかっているから、前期終了時に実験ノートをチェックするからと提出させるわけだ。それでも後期の実習では、実験ノートを持参せず、配布した実習書の隙間とか裏に計測結果を書いている。そういう学生を見つけるたびに

20151117pikopikohammer

で頭を、ピコっとたたき、「◯△方になっちゃうじゃないか」と言うのだ。暴力教師なのだ。昨年の実習では受けたんだけど…. 今年は一部学生に受けている。来年は「◯△方て誰?」になるでしょう。

今日、2年生の別の実習に参加することになったのだが、実験ノートを持っている学生はほんの少し。なんてこった。全く身についていない。明日の実習は抜きうち検査だな。

吾輩は猫である

一研究者・教育者の意見というブログがあって、ブログ主はどこかの大学の研究室を主催する教授クラスの方のようで、例えば研究費の配分などで良い意見を吐くことがある。このブログを立ち上げたのはSTAP細胞事件がきっかけで、小保方擁護派でも批判派でもないと自称しつつ、擁護に傾き、上から目線の意見を出すのだ。管理者は小保方さんの最初の記者会見で魅了されてしまったジジイ群の一人と思っている。このブログのコメント欄に、在米ポスドクと称する方がしばしば訪れて、管理者からみると、適切な意見を述べている人の一人だ。というか、コメント欄に投稿している中で、最もまともな意見を述べている方と思っている。

この方が、なんと、この書きなぐりブログを見つけてコメントしてくれた。管理者の計算ミスを指摘してくれたのだ。そのあとのコメントに「コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫する」クシャミ先生を思い出すとあったのだ。なんか、博識の方ですな。吾輩は猫であるを最後に読んだのはいつかな?こんなフレイズがあったことなんか覚えていないな。

アバタの偏屈な胃が弱いノイローゼか。アバタはない。時代がちがうから天然痘に感染したことはない。偏屈…あるかも。胃潰瘍の経験があるから胃が弱いも当たっている。ノイローゼ…最近はこの言葉をつかわないけど、ま、これは違うようだ。のーてんき だからね。

大宅健一郎

小保方氏博士号剥奪で責任逃れの早稲田大に、「論文読んでない」と批判噴出 大宅健一郎  というのが、小保方擁護のFaceBook のサイトで紹介されていた。

その記事によると 11/9(月)〜武田邦彦・半井小絵・居島一平〜【虎ノ門ニュース 8時入り!】  53分15秒〜 に 「武田邦彦が小保方氏の論文を読み「学問的価値があり、立派な論文だ」と評価」と言っている書いている。事実、武田は、このような発言をしているが、このビデオの前後関係から武田邦彦が読んだという論文は、多分 Natureに投稿された論文だ。そして、武田邦彦は専門が違うからこの論文を評価できない。事実、このビデオが録画された時点では、retract され、内容が否定されたのだから、以前に武田が眺めたのだろうけど、武田は読めないことが明らかになったのだ。仮に、ネットにある早稲田の博士論文=いわゆる草稿=の方を読んで、立派だなんていっているのだったら、早稲田の審査員が論文を読んでいないと批判することはできないだろう。なんせ、あの「草稿」は論文の体をなしていないのだから。どうやら、このビデオでは武田は、博士論文とNature投稿論文の区別をしていないようだ。いいかげんな、やつなんだよ。大宅なんちゃらというのもよく見てないんだな。

さらに、大宅健一郎は「回避された大学側の責任追求」として、指導教員や総長自身が処罰されたことにひとことも触れていない。処罰の程度の軽さはあるかもしれないが、言及しないというのは酷いやつで、ジャーナリストなんて自称できないだろう。 多分この大宅なんちゃらはペンネームでなおかつ単独の人ではないのでは。

早稲田大の審査委員が「論文読んでない」と批判されてもしょうがないが、だからといって小保方の行ったことが許されるわけではないし。小保方は、むしろこの制度を運用するズボラな教員のすきまをうまくついたと言うべきだ。

博士論文について その2

博士論文にすでに雑誌に掲載した図、写真が使われることがしばしばあると、前に書いた。博士論文は、公開した雑誌に用いたデータで構築するというのが普通になっている。このとき、図、写真は著作権問題がないのだろうか?博士論文の主旨がすでに発表した雑誌論文の内容と一致するのは当然の事なので、本文を少し書き換えれば雑誌社が保有する著作権はなんとかごまかせるけど、図や写真はそのままでいいのだろうか。

博士論文は、見にくい状況で保管されているが、それでも公に見ていいものだ。国会図書館で読める(コピーには制限がある。半分だけということのようだ)。各大学でリポジトリとして全文をネット公開している場合もある。大学のリポジトリでは、出版された論文そのものの場合、出版社に許可を得たものだけのようだ。

逆に、最近は少ないけど、博士論文にしてしまって(博士審査に通って製本した論文を提出して)、そのデータを別途、雑誌論文にすることもよくある。しかし、雑誌投稿のとき、このデータはどこにも発表していないという誓約をするけど…いいのかな?

雑誌投稿した論文の一部あるいは全部のデータを博士論文に使っていいかは、共著者の許可を得る必要がある。その場合、特許などが絡むと、著者の所属する組織がデータ利用を許可しない場合が出てくる可能性がある。

管理者の場合、博士論文は、博士論文と雑誌に投稿原稿を同時作成のような状況だったし、雑誌の共著者(親分などね)の了解は、当時は、プロジェクトの前提が博士論文にするということだったので、文書として共著者の承諾を得ていなかったと思う。昔は、そんなに気にしていなかったからな。学生のころの論文は、一応ファーストオーサーのLetter というショートノートの論文があったけど、博士論文のデータには使わなかったしね。特許に絡む仕事の経験もなかったね。だから、特に外国の大学等で実施した研究で博士号を取得する場合の著作権等のからみはよくわからない。

大抵、外国の大学・研究所に行くには博士号を取得してからというのが普通だからね。そうでないと、相手先で雇用できないからね。外国の大学院課程に入学するのは別だよ。

博士論文について

小保方の博士論文は国会図書館にある草稿を製本したものであったのだが、博士号がとりけされちゃったのでもはやこれは博士論文ではなくなったのだ。ゴミになってしまったのだ。そもそも、この草稿が論文審査に提出され、修正要求があったものの、無視して草稿を、たった2部製本しただけなのだ。1部は大学に1部は国会図書館にある。自分のはない。凄まじい人ですな。

博士論文はどんなのだというのが、以下の記述だ。

博士論文は基本的には博士論文審査を通り、必要な修正等を行って製本した論文だ。 これがないと、博士ではありえないわけだ。 博士号を与えるか否かは、大学の権限で、その論文が雑誌に掲載されていることとは本来関係がない。審査の主体は大学なんだから、どこぞの雑誌に掲載されていようがいるまいかは関係がない。 しかし、それでは審査委員会に通ったら公表せずにおしまい、ということになる。昔は博士論文がほとんど非公開に近かったので、外部にきちんと公開=雑誌に投稿しなさいということになったのだ。

博士論文そのままでは、どこの雑誌も認めないので、雑誌にふさわしく短くした論文が投稿されるわけだ。博士論文の序文なんてのは、それこそギリシャ時代からの歴史が書いてあったりするので、雑誌にはふさわしくない。ネガティーブ・データだって博士論文は自由に記載していいのだが、雑誌では不要だ。論文の長さ制限があるから、どんどん削っていくわけだ。博士号の条件としてこの外部発表しますよという一文を書く必要がある・あったのだ。

必ずしもトップレベルの雑誌が掲載してくれるわけではないので、それぞれの大学には紀要というのがあって、これだったら、内々だからなんとか掲載してくれる。つまり博士論文があってそのあと雑誌論文があるというのが昔だったのだ。 京都大学の博士号取り消し要件に公表の不履行とあるのはこのことだ。

ところが、最近は、博士論文提出の条件に、査読付き国際雑誌にファーストオーサー(あるいはそれ相当)の論文が1つはないと申請資格がないというところが増えてきた。研究のテンポが早くなり、在学中に論文の1つや2つがあるのが珍しくないのだ。

早稲田は2つなければいけない。2つというのは、まともに考えるとかなり厳しい。学生が3年(医学部では4年、以下略)で論文を作成することすら難しいわけで、それが2つというのはハードルが高すぎると思う。とすると国際雑誌=英語雑誌であればいいわけで、某Tissueなんちゃらみたいな雑誌でもいいことになっちゃうわけだ。ハードルを高くすると、本来の目的ではなくその抜け道ができてくるのだ。

さて、博士申請には雑誌に掲載された論文を必要とするということになったら、博士論文はその掲載した内容を含むことになるのが普通だ。3年間に、博士論文と全く関係のない論文を作ることは普通の学生には無理でしょ。雑誌掲載論文が単著であることは、現在はほとんどありえない。研究資金も場所も機械も指導教員のものだから、ラスト・オーサーは指導教員=親分になるでしょ。共著だから博士論文に雑誌に掲載した内容を使っていいかと全ての著者の許可が必要になる。同じレベルの博士課程の学生が共著者になって、そいつもこの論文を使って博士論文を作成するというようなことがない限り、大抵、共著者はすでに博士号を持っているから承諾は容易に得られる。あらかじめ、博士論文にするという前提で実験を行っているからね。

この場合、雑誌に掲載したのと同じ写真、グラフが博士論文に使われる可能性が高いのだが、博士論文はなにやら公開に制限がありそうでなさそうで、著作権についてはうやむやになっている。雑誌掲載のときは、大抵著作権は雑誌社にあるという書類にサインしないと掲載されないので、著作権は出版社にあることが多い。博士論文はPDFで不特定多数が読むことができるようになっている現在、非常にまずい状況だと思うけどどうなんだろ。

それとは別に、この雑誌掲載された論文がなければいけない、また雑誌掲載と同じような内容の論文でもよいということから、その雑誌の論文の別刷が博士論文そのもにになっちゃっている場合が、かなりある。特に臨床医学分野で多いのではないかと思う。こういう論文が博士課程審査にでてくると、これを却下することは非常にむずかしいことになる。なんせ、その分野の複数の専門家が査読してOKとなった論文を、専門分野ではない主査・副査が審査するわけで、否定するのは非常に難しい。

こうなっちゃうと、博士号を認めるのは大学でなく、雑誌のレフリー(査読者)、エディタになっちゃうわけだ。 これはあんまりだ。雑誌に投稿した論文は博士申請した大学院学生が書いたとは思えないのに博士論文としちゃうことになる。

というわけで、このような雑誌掲載論文そのものを、博士論文とするのはおかしいので、博士論文は、dissertation(書き下ろし)形式でないとだめとなりつつあるのではないだろうか。こうすると医学部では臨床の先生が文句を言うのだ。指導する時間がないからできないという。なんか本末転倒だ。だから妥協して、せめて序の部分は書き下ろしにしなさい。方法以下は雑誌と同じでもいいよということになる。 だから、博士論文の審査では、まず、We となっているところが I に修正されるのだ。博士論文なんだからな。

(続く)

ドア ノブ 暗証番号 キーボックス その2

ドアノブに暗証番号で開くキーボックスをぶら下げたことは以前書いた。その最後に、誰かが真似しやがったと書いた。

この真似た奴がドジで、要するにドアノブを他の建物のものと交換したわけだが、交換先に選んだドアは両開きの部屋のものだったのだ。だから廊下に2つ、室内に2つのドアノブがあるところだったのだ。管理人は、トイレの一つしかないドアのノブと交換したのだ。交換は2つのドアノブなのだ。だから交換先の4つのどれか2つが交換されるわけで、廊下から見て左右のノブの形が違う、室内外で違うとなると、ばれやすい。この部屋は通常両開きのドアの片側しか開けない。したがって片側は使わないので、ドアノブを交換せず、穴が空いたまま放置したのだ。あほか….

夜中、警備員が巡回してドアノブが無いのに気がついた。警備員は外注なので、大学内部の事情なんか関係ないから、忠実に上司に報告、上司から事務のエライさんのところに報告…. ということになってしまって、怒られたのだ。始末書まではいかなかったようだ。おかげで、管理者が関わったところも、現状復帰となってしまった。

ノブを交換した理由は、ノブがパイプを曲げたようになっているので、リングで引っ掛ける鍵箱をぶら下げると、柄のほうに抜けてしまうのだ。だから、なにか抜けないような方法が必要だったのだ。別の建物のドアは、パイプを曲げたものではなく、手で握る部分が太くなって、鍵箱をぶら下げても抜けないのだ。

パイプをL字形に曲げたものだから、鍵箱のU字形のぶら下げる部分は内径が大きいので通りぬけちゃう。なにかストッパーをつけないといけないのだが、パイプに傷を付けず、現状回復可能にしなければいけない。ホームセンターでパイプの外径とほとんど同じ穴の開いた平ワッシャを見つけた。ただの平ワッシャだと厚さがないのでパイプのL字部分を通り抜けてしまう。厚さがあればつっかえる。

20151111doorknob-3

そこで、2枚のワッシャをスペーサを噛ませてネジで止めし、厚さを作ってストッパーとしたのだ。

20151111doorknob-1

厚さが厚いほど、通り抜けにくいので、いいわけだが、そうするとこのストッパーとドアの間に隙間がなくなり鍵箱をぶら下げることができない。厚さをナットとスプリングワッシャを使って調節したのだ。抜けなくて、鍵箱のU字部分がドアとの間にはいる余地があるように調節したのだ。ちと面倒だった。微妙にパイプの太さ、曲げ具合が異なり、テストしたドアではOKだが、該当するドアの取っ手では上手くいかないとかになったのだ。

20151111doorknob-2

これで、完成。わかるかな。ドアノブがパイプをまげたもので、回転軸になる部分に、このワッシャで組み立てたストッパーがあって、ドアとの間に鍵箱がぶらさがっている。

現状復帰は、ドアノブを回転軸に停めてあるネジを緩めて、ノブをひきぬき、ストッパーを取り除けばいいのだ。ドアノブを留めてあるネジはこの鍵箱の取り付けU字フックの影になっていて、この鍵箱を取り除かないかぎり、このネジにアクセスできないのだ。ワッシャを組み立てた皿ネジの頭は内側になっているから、このワッシャを組み合わせたストッパーを外から分解できない。

真似した奴は、現状復帰したあと、ストッパーにガス管を止める金具(ホースバンド)

20151112hoose-bandで代用していた。ネジの部分がストッパーになっているわけだ。これはドライバー本で取れちゃうからまずい。

カーソル(ポインタ)が行方不明

Macでマウスを左右に激しく振ると、カーソルが大きくなる。知ってた?
いつのバージョンからだろうか?
システム環境設定 → アクセシビリティ で以下にチェックする。デフォルトでチェックされているはず。
20151109cursor

マウスを激しくシェイクすると、下のようなイメージでカーソルが大きくなる。

20151109cursor

カーソルが行方不明になるときがあって、便利だ。

[ 追記 ] 2015.11.12 El Capitan からのようだ。

ちなみにWin7 の場合は、コントロールパネル → マウス ポインターオプション Ctrlキーを押すとポインターの位置を表示する(S) にチェックを入れ、適用ボタンをクリックする。

20151117winmousecursor

上図のように、コントロールキーを押して離すとカーソル(ポインタ)のあるところで同心円が表示される。デフォルトでは OffになっているからOn にしておいて問題はないだろう。

どっちがいいかというと、Macの方だな。カーソルがなくなっちゃうと、ついマウスを動かすでしょ?

博士号の取り消し

普通の大学では博士号を「不正手段で得られたものは取り消すことができる」となっている。当然ですな。ところが、「学位を授与された者がその名誉を汚す行為をおこなったとき」という項目が多くの大学であるらしい。一研究者・教育者の意見 というブログで 43. 在米ポスドク さんが調べてコメントに記述している。

東京 不正
京都 不正・公表の不履行
大阪 不正・名誉
東北 不正・名誉
名古屋 不正・名誉
九州 不正・名誉
北海道 不正
東京工業 不正
筑波 不正・名誉
広島 不正・名誉
千葉 名誉・不正
岡山 不正・名誉
神戸 不正・名誉
東京医科歯科 不正・名誉
金沢 不正・名誉

やばいじゃん。管理者も姿勢を正さないと。

どうして審査会提出版すらないの?

「公聴会時論文が合格相当である」は公開の博士論文審査のときの判定として普通である。しかし、公聴会は一般公開だから、主査などの審査員や、他のフロアの聴取者からの質疑に対する応答、議論が当然ある。これらの議論を踏まえた必要な「(誤字脱字を含めた)修正が行われた論文が提出されたら」というのが、この「合格相当」の一つの意味である。
もう一つは形式的で、正式には教授会(あるいはその上の大学院を取りまとめる大学全体の組織)が合格認定するので審査会では決定できないので「合格相当」ということになる。

後者はほとんど形式的なので別にして、主査は審査会終了後、訂正がなされたら合格と申請者に伝える。そのあと改訂点をリストした書類とともに、改定版を主査、副査に提出し、改訂がなされたことが確認されたら、主査が教授会に主査、副査の署名捺印のある審査報告書を提出し、教授会で博士号の授与が承認されるという手順になる。

ちなみに教授会での賛否は投票なわけで、ほとんどの教授は専門が異なるのでその論文を理解できないわけで、賛否の拠り所は指導教員にある、つまり指導教員の評価になるわけだ。満票で承認されると、当の学生ではなく指導教員が喜ぶわけだ。

これが普通の博士論文審査の過程だと思う。早稲田は知らんけど。

というわけで、国会図書館に保存されている博士論文が、審査に提出したものであってもおかしいわけで、それがさらに以前の草稿が製本されて存在するというのはありえないことと、博士論文審査に関わっている人たちは思うわけね。そんな草稿は自分自身が1部持っているだけで、これに手書きで加筆したりするものなわけで、これを複数部印刷することもありえないわけだ。したがって審査に提出した論文すら存在したのだろうかと疑問に思うわけだ。審査も関係者ばかりだったので、審査に提出した論文がこの「草稿」であっても、審査員はろくに読みもしなかったのではと疑われる。審査に提出した電子ファイルも紙ベースの論文も捨てちゃったんだろうか?普通は電子ファイルはどこかにバックアップされているはず…

草稿にしても他からの図をコピペというのもありえないのだ。こういうイメージの図というのを手書きにして仮置きするのだ。審査会に提出した論文は、この草稿であって、本当に自分で書いた論文はなかったのでは?だから審査会で指摘された点を修正した論文もないわけで、口頭で「合格相当」と言われたもんで、そのまま走っちゃたんだよね。だれもチェックしないのを知っていたわけだ。すごいね。

この改訂版の確認を主査以下が行わなかったので審査員にはペナルティを与えられたわけだ。

小保方は、もしあるのなら、その改定された本来の製本されてしかるべき版を再提出して差し替えて貰えばいいのに、印刷もしていなかったようで、電子ファイルもない(日付で判定できなかった)わけだ。製本は複数冊行うのが当然で、ご自身が黒表紙金文字の製本された論文を持っているはずだ。どうです?読者で博士号を持っている方は自分自身の黒表紙金文字の博士論文を1冊持っているでしょ?

自分で製本された論文を見たにちがいないわけで、その時点でミスがわかったはずだ。
審査委員会直後の修正した論文さえあれば、なんとか差し替えですんだわけだが、それがない=修正されていない ということなんでしょ。

論文内容は「合格相当」と調査委員会での判定はあったけど、適切な処理がその後なされていないので「不正相当」とされたわけだ。早稲田も苦しいけど超法規的に対処したのね。その原因はズボラな小保方とチェックすら行わない主査以下の教員両方にあるのだ。

あなたはどっちの言い分を支持する?

小保方は早稲田大学の博士号を取り消され、その通知を10月30日午後受け取り、11月2日の早稲田大学の記者会見に先立って、怒り狂った声明を発したわけです。

●今般の早稲田大学の決定について
2015年11月2日

小保方晴子

私は、学位論文について、実質的な審査対象論文と異なった初期構想時の論文を誤って提出したことに対し、論文訂正と再度の論文指導を受ける機会を与えて頂きました。このため、大学設置の調査委員会によって指摘された問題点をすべて修正して論文を再提出したところ、このたび、前回の授与時判断と異なった結論を出されました。

昨年、総長からは、指導過程および学位授与の審査過程に重大な不備・欠陥があったとの理由から、猶予期間を設けて論文訂正と再度の論文指導を受ける機会を与えるとし、これが適切に履行された場合には取り消さず学位を維持する、とのご決定を戴きました。私はこれに従い履行したにも関わらずの今回の決定には失望しています。

このような経緯の下での今回の判断は、総長のご決定の趣旨及びその背景にある大学調査委員会報告書のご意見に大きく外れるものであり、学位規則の取消要件にも合致しないものであると思います。

前回の学位授与は、私の在学中に研究活動を指導し研究の進捗状況等の報告をさせて頂いていた教官の先生方らによって、正式な審査過程を経たうえで授与されたものです。しかし、今回の同じ研究科における再度の審査過程では、今回の修正論文は博士に値しないとされることは、前回の授与時判断と大きくかい離する結論であり、指導過程、審査過程の正当性・公平性について大きな疑問があります。

今回は、修正論文提出前から、担当教官によって、「今回は合格する可能性はとても低い」と伝えられ、不合格の理由においても、審査教官から「博士として認めることのできないのは一連の業界の反応を見ても自明なのではないか」とのコメントがあり、学術的な理由とはかけ離れ、社会風潮を重視した結論を出されたことは明らかです。また、今回の修正作業は、入院中、加療中での修正作業となり、思考力・集中力などが低下しており博士論文に能力を発揮できる健康状態ではないとの診断書を大学に提出しておりましたが、ほぼ6年前の米国に保存されている研究資料を提出することなどを求められ、しかも厳しい時間制限等が課されるなど、心身への状況配慮などは一切なされず、むしろそれが不合格の理由にも採用されました。

修正論文提出後、「審査教官とのやり取りは始まったばかり」との説明を受けましたが、一回のやり取りだけで不合格の判定をされ、それに対する私の意見も聞く耳を全く持って頂けない状況でした。これでは、当初から不合格を前提とした手続きであり、とても不公正なものであったと思います。この点については、大学にも改善をお願いしましたが、残念ながら聞き入れて頂けませんでした。

博士論文の骨子となる内容はSTAP研究の足掛かりとなった研究成果であり、理研で行われた検証実験においても一定の再現性が認められているものです。

博士論文執筆当時、この研究が広く役立つ研究に成長していく事を夢見て日々を過ごしていました。私の研究者の道は不本意にも門が閉じられてしまいましたが、いつか議論が研究の場に戻る日を期待し、今回の再提出した博士論文や関連するデータは年度内をめどに随時公開して参る所存です。

以上

これに対し早稲田大学は小保方の声明は事実ではないと、反論を発したのだ。

早稲田大学の決定に対する小保方晴子氏のコメントについて
Posted Wed, 04 Nov 2015

早稲田大学は、2015年11月2日、小保方晴子氏の博士学位の取消しに関する記者会見を行いました。この直前に、小保方氏は、代理人を通じて、本学の処分に対するコメントを発しておりますが、そこには事実と異なるいくつかの点と誤解と思われる指摘がありますので、以下に主要な4点について本学としての見解をお示しいたします。

第一に、小保方氏は、前回の学位は正式な審査過程を経たうえで授与されたものであるにもかかわらず、今回の論文訂正において訂正論文が博士に値しないとされたことは、前回の授与時の判断と大きくかい離する結論であると主張されています。

しかし、小保方氏が審査対象となったものとは異なる論文を提出したことを受けて、本学は昨年10月6日の決定をもって、再度の論文指導などを行ったうえで、本来提出されるべきであった論文になるよう訂正を求めた次第です。したがって、2011年に実施された学位審査の基準と今回の決定に至る論文訂正の水準は、本質において何ら変わることなく、ただ「博士学位にふさわしい」論理的説明が科学的根拠に基づいて行われているかという点に尽きます。残念ながら、今回の論文指導は、小保方氏の事情によって十分な時間を取ることができず、指示された訂正作業を完了できないままに猶予期間が満了するに至ったということであり、本学として審査の基準を変えたわけではありません。むしろ、博士学位にふさわしい論文としての水準を低く設定するようなことがあれば、学位授与機関としての本学の博士論文審査の信頼性が問われることになると同時に、小保方氏ご本人の研究に対する信頼性も揺らぐことが危惧されるのであり、それはご本人にとっても不本意であろうと思われます。

第二に、担当教員によって「今回は合格する可能性はとても低い」、「博士として認めることのできないのは一連の業界の反応を見ても自明なのではないか」とのコメントがあり、学術的な理由とはかけ離れ、社会風潮を重視して結論を導いたと主張されています。

しかし、これらのコメントは前後の文脈を無視した引用であり、前者は、指導教員が、最初の面談で、「提出すれば必ず合格するというわけではないので、合格できるよう修正していきましょう」と言ったことを指していると推定されます。後者は、「不明瞭な疑惑がひとつでもある場合、またそれを解消する姿勢が著者に見られない場合、信頼できる博士および論文として認めるのは難しいことは、昨年の一連の業界の反応を見ても自明なのではないか。」という改訂稿に対する指摘の一部だと思われます。これはまさしく博士学位論文においては科学的根拠や論理的記述が十分に行われることが必要であることを指摘したもので、予断をもって指導に臨んだことを意味しません。

第三に、入院中、加療中での修正作業となり、思考力・集中力などが低下しており博士論文に能力を発揮できる健康状態ではないとの診断書を大学に提出していたが、心身への状況配慮などは一切なされなかったと主張されています。

確かに、小保方氏から診断書は2回提出されていますが、2回目は本学の側から提出を依頼したものです。本学は、むしろ論文指導が小保方氏の健康状態に大きな影響を与え、取り返しのつかない状況に至ることを慮り、それゆえに医師の診断結果を考慮しながら対応することを常に心がけてまいりました。医師より医学的観点から論文指導の停止を求められ、それに従うこともやむを得ないと考えながら、その範囲内でご本人の論文訂正をされたいという意思を実現すべく努力をしてきたところです。通常は、指導教員の側が学生を訪ねて指導を行うことはありませんが、小保方氏の健康状態に対する特別な配慮をもって、これを実施いたしました。

第四に、修正論文提出後、一回のやり取りだけで不合格の判定をされ、それに対する意見も聞く耳を全く持たない状況であり、当初から不合格を前提とした手続きであったと主張されています。

しかし、会見でも明らかにしたように、指導教員等は3回にわたり小保方氏のもとを訪れて直接の指導をし、また、20通を超えるメールのやり取りや電話によって、論文の訂正に係る指導が行われており、事実、小保方氏からは最初の草稿以降に3回改訂稿が提出されております。

本学としては、小保方氏と争うことは全く考えていません。小保方氏の指摘のように「社会風潮を重視した結論」を出すのであれば、1年前に博士学位の取消しを即時に実施したでしょう。しかし、本学は「教育の場として学生の指導と責任を放棄しない」という信念から、「一定の猶予期間(概ね1年間)を設けて再度の博士論文指導、研究倫理の再教育を行い、論文訂正させ」ると決定をし、本年に至る論文指導を行ってきたところです。小保方氏もご自身のすぐれない健康状態のなかで最大限の努力をされ、また本学の指導教授も例外的な配慮を払いながら指導を行ってまいりました。しかし、残念ながら、両者の努力が十分な結果を得るに至らないまま猶予期間が満了してしまいました。それは、教育の場としての本学にとっても辛い結果ではありますが、これは学問の府として揺るぎない基準をもって博士学位にふさわしい論文を評価するとの姿勢の帰結でもあります。

早稲田大学は、学位授与機関としての信頼を回復すべく、また同時に教育機関としての責任を全うできるよう、今後も努力してまいります。

早稲田の言い分に分があるね。小保方の元に出張指導しに行った教員は、ものすごく慎重な行動をすべきである、揚げ足をとられるような言動は許されない という自覚があったにちがいない。そのような教員が、「STAP論文の事件から業界の雰囲気をみれば取り消しが取り消されないのは自明でしょ」なんて死んでも言うわけがない。言うのは無責任な学部学生くらいだ。メール交換20回、論文訂正3回という早稲田の主張は、こういう数を明確に言うだけの証拠があるわけで、小保方の1回の根拠はわからない。医師の診断も早稲田が依頼したももあるというのはこの声明で始めてあきらかになったことで、早稲田がそれなりに気を使ったことがわかる。

小保方は怒り狂って、データや博士論文原稿を公開するらしいけど、恥をかくだけだな。このような状況では、素人を含めたあらゆる人がボロクソに叩くに違いない。同じ分野の研究者は評価すらもしないだろう。自分の実験でいそがしいもんね。実験ノートを公開したときのようになっちゃうよ。

だけど年度内なんていったもんで、もうこれでおしまいと思ったけど、まだ5ヶ月くらい、ネットの好事家を楽しませてくれるのだ。

センセのほうが出向く

早稲田の記者会見では、複数の大学教員が3回にわたって小保方のところに行って指導したといっているが、小保方の言い分は1回だけ

小保方は「入院中、加療中での修正作業」だから猶予しろといったが、美容院で髪を切っている(2014年12月)。

11月末には再現実験が失敗に終わり、その後、時間があったにもかかわらず、5月末まで大学の問い合わせに答えなかった。で時間がたりないから延長しろとはね。自分で大学に行くのではなく、大学教員が出向いたんだぜ。偉いよね。

まだ、この「事件」は続くのであろうか。博士取り消しを裁判にもっていくのだろうか。みずほ中央法律事務所のページでは「博士号等の認定における論文内容の判断は司法審査の対象外とされる」という最高裁の判例があって司法審査の対象外だそうだ。だから訴訟対象にならないのとおもうけどね。

弁護士がついていたんだから、1年間の猶予期間になにをすべきかを、具体的に文書でもらっておけば、よかったのにね。早稲田の要求は当然「博士学位論文として相応しいものになった」とあいまいなんだからな。早稲田はハードルの高さを自由に操作できる立場なんだから、これを防ぐ手立てを考えるのが弁護士だろうが。

早稲田大学の調査委員会が、Tissue Engineering とかいうVacanti が自由にしている雑誌に投稿したretractになってしかるべき訂正まみれの論文があって、一応英文国際雑誌で、これを元にしている博士論文だから問題ないなんて笑われる結論を出したのは博士として認めるつもりだったんだろ?一貫として、質も悪い、形式も整っていないでボツにしちゃえばよかったのにね。