姫丸様が正義に教わりホームページを作ろうと
悪戦苦闘したしている経過です

押してはいけないボタン→ 

2003年2月26 日

 

...げるのだろう。「っとに、うちの母親は!!!子どもで遊ぶのだから」という反応が目に浮かぶ」どうせなら...

カギ括弧の数が合わない−括弧が閉じてない。姫の場合、締まりが悪いのはしょうがないけどね。何を省略した結果このような文章を書いたのかを解析するのは疲れたな、だから指摘だけにしとこ。

2003年2月19日

 ちと気になっていたんだけど、姫の3月15日の日記の「...大好評。正義の独自のお料理法だという。目の付け所が良いなぁ。再度我が家のお嫁さんへ...」の「目の付け所が良いなぁ。」は、正義の料理のセンスがいいことを表現したくて正義の目の付け所がいいと言っているのだろうか、それとも正義という優秀な好青年をとっつかまえた姫の目の付け所がいいと言ってるのだろうか?

 普通の人にはありえない姫独自の手抜きが、読者に何を伝えたいのかわからなくなる原因ですな。

2003年2月17日

塩野七生の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』学生時代に読んだ本だが、改めて本屋で目に入り二冊買ったうちの一冊だ。

 さって姫は何という本を何冊購入したのでしょうか?

1)塩野七生の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を学生時代に購入した。49歳のオバサンになってまた同じ本を2冊も買った。だから『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を3冊持っている。 新しく購入した2冊のうちの1冊については娘に読ませるとか何かするつもりだ。

2)塩野七生の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を学生時代に購入した。49歳のオバサンになって2冊の本を買ったのだが、そのうちの一冊は学生時代に購入したものと同じ『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』である。 もう一冊も購入したがこれも同じ著者が書いたものだが別の本である。

3)塩野七生の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』を学生時代に購入した。49歳のオバサンになって2冊の本を買ったのだが、そのうちの一冊は学生時代に購入したものと同じ『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』である。 別にもう一冊購入したが 、これは塩野七生とは全く関係がない。

4)学生時代には、遊びまくって小遣いを使い切っていたので、本を購入する資金はななかったが『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』は図書館から借りて読んだ。49歳のオバサンになって、本屋に同名の本があったらから懐かしく思い2冊も買った。 新しく購入した2冊のうちの1冊については娘に読ませるとか何かするつもりだ。

5)学生時代には、遊びまくって小遣いを使い切っていたので、本を購入する資金はななかったが『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』は図書館から借りて読んだ。49歳のオバサンになって、本屋に同名の本があったらから懐かしく思い1冊買った。もう一冊も購入したがこれも同じ著者が書いた ものだが別の本である。

6)学生時代には、遊びまくって小遣いを使い切っていたので、本を購入する資金はななかったが『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』は図書館から借りて読んだ。49歳のオバサンになって、本屋に同名の本があったらから懐かしく思い1冊買った。別にもう一冊購入したが 、これは塩野七生とは全く関係がない。

6)1)または4)

7)2)または5)

8)3)または6)

9)1)から8)のどれでもない

 なんでまた、こんなに理解しがたい文章を書くのでしょうか?改めて本屋で目に入いったの」が二冊の本」なのか「一冊」の本なのかよくわからない。本の題名を1つしか挙げてないので「一冊」にかかるんでしょうね。とすると「二冊」とはどんな本なんでしょ?書いた本人もわかってないのだろうな。頭の構造そのものがでくるからでしょうね。

 「早く帰ってこよう、会合が終わり次第帰ってこよう、と思い」これも嘘ですね。会合は1時頃始まったのですからどんなに長くたって5時には終わっています。とすると5時から場所を変えて飲み会になったはずです。10時帰宅ということは早くても8時半くらいまでは飲んで食べていたことになります。この飲み会が主な目的なのですから、10時帰宅になったわけで、もし会合だけの目的で 、本心から早めに帰るつもりなら、仮に後の飲み会にちょっと顔を出しても8時頃には帰宅しています。どうしてすなおに楽しい飲み会だったと言わないんだろ? 飲み会に出たことが後ろめたく「よき主婦」でありたいという願望が書かせた文章なんでしょうね。

2003年2月14日

今更だとおもうが、娘の目がようやく真剣になってきた。
って、、、、、この2年間いったいあなたは、どういう目をしてたのですか?と母は言いたい、とても言いたい

 また筋が通らないな。どうして姫の文章には違和感がいつもでてくるんだろうな?発想が常人ではないからな。

 「今更だとおもうが、娘の目がようやく真剣になってきた。」というのは姫が見た娘の目、態度を表現した文章である。したがって娘自身は真剣かどうかはわからない。そのようなふりをしているのかもしれない。また、それ以前の2年間の娘の目や態度が姫には真剣には見えなかったようだけど、娘自身は真剣に取り組んでおり、単に態度に出なかったのかもしれない。しかしながらこのような前提は無しにしておいて、危機感・真剣さは目に出てくるものと仮定すると、批判すべきは目ではない。目を批判したら本質からはずれたところを非難していることになる。「どういう目」と非難しないで、「なにをやってきたのですか」とかいう語句に、つまり目に表れるところの原因となる事象に、取って代わるべき文章である。そうすると違和感なく読者に伝わる。「目」を非難したってしょうがない。

姫だったら、「こういう目よ(@ 。@)どこがわるいのよ」と開き直るだろうな。

お嬢様に報告することのほかに、(2月14日の日記があるから)お馬鹿息子にもこのページの存在を教えちゃおう。ルンルン。

 

2003年2月13日

あ、これは珍しく、素直に正義の指摘が正しい

どて... いつも指摘は正しいだろうになにいってんだよ。それに ...珍しく率直に言って、正義の...
とすべきだろうが。「率直に」てのはどこにかかるんだ?「正義」か?「指摘」か?「正しい」か?どこに
かかっても意味が通じないだろうが。どうして意味不明な日本語を書くのでしょうかね?

...悩める母心について考察が....

「娘がどの大学を受験するか賭けよう」と提案したのは誰でしょね?大事な受験を賭けの対象にする
のは悩める母がすることか?こういうことを言うから姫の人間性が理解できちゃうのだ。

この件については、いずれ、受験が終わった時点で、お嬢様にちゃんと報告することにする。

2003年2月12日

一人暮らしになる可能性は後期に受ける大学に行けることになったらなのだから、行けるかどうかもわからない。

また日本語の使い方が間違いだ。 「だから」というのは原因とか理由を示す接続詞(いいのかな?)だから、次にくる文章はその結果を示さないといけない。したがって;

一人暮らしになる可能性は後期に受ける大学に行けることになったらなのだから、行けるかどうかもわからないのに心配してもしょうがない

としなければいけない。

「行けることになったら」の話だから「行けるかどうかわからない」という結論は
どんな論理なんだろ?だから論理性に欠けていると非難・嘲笑の的になるのですね。

ま、答えは、「ふん。私なりの省略なのよ。わかってもらいたくて書いているわけじないわ。」かな?

2003年2月8日

親子揃っての大学受験。過保護親子の典型として微笑ましい限りではないか。

また日本語の使い方まちがっている。「過保護」て言葉はネガティブで批判・非難の対象なのね。
一方、「微笑ましい」というのはポジティブで、好ましい状態を意味するのね。
だから「として」という単語で結びつけてはいけないの!!

「過保護親子の典型として醜い限りではないか。」が正しい日本語である。
「仲のよい親子の典型として微笑ましい限りではないか。」が正しい日本語である。

どうも姫は過保護は正しい道であると誤解しているようだな。
姫の精神構造では 悪を正義、悪魔を天使 のように常識とは反対にみなしているからしかたないか。

母娘がツインの部屋に泊まるのは恥ずかしいのだろうか?
    別に恥ずかしいことではないな。よくあることだ。たとえば田舎の法事に行くときホテルしか
    泊まれない状況だと当然のことになるな。
受験に母親がついていくのが恥ずかしいのだろうか?
    そういう例はいっぱいあって当世では普通だな。当然だとまでは言えないけど。
    テレビニュースで、受験当日大学内の食堂で待っている親のシーンなんてよくあるぞ。
    ま親のほうも、仕事を休んで遠征してきて、帰りの便が一緒だったら、
    することないからな。パチンコでもやってればいいのにね。

というわけで、何故に、ホテルに予約する のが恥ずかしいのがよくわからん。ひょっとして心の片隅に
過保護に育てたという罪の意識があるのかな?いやいや、反省という言葉は姫の辞書にないからありえないな。

上記の指摘に対して 以下のような返答がありました。

正義指摘の最後の部分

>というわけで、何故に、ホテルに予約する のが恥ずかしいのがよくわからん。ひょっとして心の片隅に過保護に育てたという罪の意識があるのかな?

ピンポン!!である。不詳わたくしめ、常に反省・自省をモットーに生きておりますから。

それ故、自分の文章においても、自ら皮肉・嘲笑をしている部分が多々ある。上記の親子揃っての大学受験については、まさにその典型。

「いやいや、反省という言葉は姫の辞書にないからありえないな。」という指摘が正しい。反省なんかしてるものか。人からつっこまれるのがいやなもんで、弁解を書いているだけだ。だから矛盾だらけの文章になる。それが証拠に、上記の日本語に対するつっこみには返事がない。無視しているだけだ。反省しろ!!

2003年2月7日

なぜか、姫が悪い言葉をまき散らすのは、すべて正義が悪いんだそうで、まことに身勝手であります。

 こんなにまでも正義は姫様に尽くしているのに、なにか姫に悪いこと−悪態をつくかねばならないいような場合が生じたり、満貫を振っちゃったり、飛んじゃったり、よそ見してこえおけに落ちたり、電信柱にぶつかったり、 シートベルしてなかったので罰金とられたり、など−が生じたらすべて正義が悪いんだそうです。
 まるで我が儘娘が、女中や執事(そんなのはいまどきいないだろうけど、たとえば 「風と共にに去りぬ」のようなことをイメージしてください)に当たり散らしているのと全く同じです。「風と共に去りぬ」のほうではスカーレット・オハラは最後には苦難に耐えちゃんと自立していくのでしょうが、姫の場合は...もう歳ですからねぇ。 この精神構造は変化することなく墓石までもっていくのでしょうね。それに、正義は女中でも執事でもないんですけどねぇ。正義は繊細な神経の持ち主で、50を過ぎたオバサンから「ばーか」なんていわれたくないんですけどねぇ。「きらい」ていわれるのはなんともないです。正義が好いているわけじゃないからね。
 しかしどこが悩める母なんだろ?これだけ悪態ついて発散していてどこに悩みなんてあるんだろ?

 ふむ。姫が「いい女」ではないことは、自他共に認めるところですからな。いつだったか、嘘つき姫自身に「自分はいい女ではない」と正直に言わせるのに成功したときは、おかしくてキーボードを打てなかったときがあったな。あれは いつだっけ?
 あった、あった 2002年11月3日ですな。