トップに戻る  娘の為の簡単レシピ

正義とは誰か!ここに答がある(かな?)

2003年4月分

春も盛りの花の宴  しとつく雨に濡れて どこに行こうか

吹く風に身まかせた花姿 散ることに美しさを漂わす  私は桜の季節には傘は持ちたくない

☆ここでは、正義が毎朝、どう私をいじめているのかを披露します☆

07:57 <himemaru> まだ 何もかんがえてないもの
07:58 <himemaru> お馬鹿正義日記とか。。。。
07:58 <himemaru> いいかもしれない
07:58 >seigi< おれは 管理者だから いくらでも 削除できる
07:58 >seigi< 検閲できるのだ
07:58 <himemaru> ふふん
07:59 <himemaru> 言論の自由を
07:59 <himemaru> 要求します
07:59 <himemaru> 200 もいらないわ
08:00 <himemaru> 10あれば、お馬鹿正義日記できそう

 

4月30日(水)

娘の自炊生活のために、簡単に出来て栄養バランスがよく安上がりで豪華に見えて美味しい料理をアップしてあげようかな、と話をしている。簡単に、というのは外せないとして安上がり・豪華に見えるは、必須ではないかもしれない。栄養バランスもたまには無視しても良いかも。大体が野菜が不足するのだから、生野菜を添えれば(ほんとは生野菜じゃ足りない)気が済む。上の全部が揃うレシピが何十種とあったら私をはじめ主婦達も、こんなに悩まない。

まぁちょっとだけでも、とアップしようとして、ハタと悩んだ。この正義サーバーに一緒のページとしてアップする訳にはいかない。

家族のしがらみから自由になって、一人の姫丸として好き放題言いたい放題の日記を書いているのに、見られてしまったら困る。

いや、別に見られて困るものは無い!のだが、やっぱりねぇ、、、、知らせる必要もないしぃ。

それに、正義のサイトには、それこそ娘には読ませたくない、姫丸の悪口!が目一杯沢山あるし。

という事でジオシティにスペースを借りてみた。使うかどうかはわからないが。

ここからは行けるようにして、あっちからはここに来れない一方通行にする予定。

娘の為の簡単レシピ とでもしてみようか。

 

チャットで説明するのはほんとに一苦労

娘が夜9時半頃にオンになった。FTPの使い方を説明する為に、正義に作ってもらった圧縮ファイルをメール添付でおくったが、その説明をする為だ。

なんと言葉だけで説明するのは難しいのだろう。娘がどこまで私が言ったことをやっているのか、返事がなければわからない。「それ」「あれ」は、こちらから具体的に確認。

結局、正義のFTPへの接続は、圧縮ファイルをみながらスムーズに進めたようだ。「接続できた」という言葉が無く、「うーん・・・わからん」とあったので、接続がわからないのかと、説明を再度はじめたら「だからぁ接続してる」。あ、、、そうですか。

結局、アップするのは本日はあきらめて「レポートするから落ちる」とプンプンした雰囲気で落ちていった娘。

 

あらためて正義さま、娘以上に訳のわからない私に、手取り足取り教えてくださったご苦労が今更ながらわかりました。

「あのね、〜〜でしょ。」と、あの正義でさえ、小学生相手の優しいお兄さん口調になってしまうのは、ほんとにそうじゃなければやっていられないのだな、とシミジミ実感した。いちいち怒っていたら、どうしようもないのだわね。

 

4月29日(火)

ラピュタ阿佐ヶ谷に、映画を見に行った。『地球交響曲/ガイアシンフォニー』

ラピュタ阿佐ヶ谷は、行ってみてはじめてわかったのだが、あの宮崎監督の世界をコンセプトにしている建物だった。

いろいろあるのだが、映画の上映は一回50名ほどの小さな規模。中に入って物珍しくキョロキョロしながら歩いていて、スッテンコロリン。「きゃー」という悲鳴をあげてしまった。何が起きたかわからなかったが、まじまじと見たら段差があった。木の床で継ぎ目と段差がわかりにくい。暫く起き上がれなかった。「ああ、捻挫したな」。

すぐ傍の椅子に座り、それでも2時間の上映は楽しんだ。その間に捻挫が治ってくれている事を祈りながら。

甘い希望は打ち砕かれる。立ったが歩けない。係員の方の肩を借りてロビーに移動。継ぎ目・光っているという事で、段差がわかりにくく結構そこで転ぶ人がいるようだ。ガーゼ・固定テープで左足首をしっかりと固定する。

タクシーを呼んでもらって帰宅しようと思ったが、固定したらなんとか歩けそうな気がしてきた。「駅まで近いし」と歩き出す。

やっぱり、それも甘かった。途中で左足だけ履物(ミュールだった)を脱いでしまった。スラックスが長かったので、そう分からない筈だ(希望)。途中で乗り換えを忌避してタクシー。

まぁ、捻挫のお陰で、映画が終わってから吉祥寺で買い物をして帰ろうと思っていたのをやめて、まっすぐ帰宅したし。節約倹約には役立った。

一息ついていると息子が帰宅。事情を話し、氷水を頼む。ブツブツブツブツ言う。お茶も頼んだが「いやだ」。

なんと、わがままな!!!母が動けない時くらい、とかなり悲しく思っていた。

まぁ、なんとかお茶を、と立ち上がり動く私の姿を見て、息子の顔がやばい!と変わった。座って話しをしている私から、たいした事じゃないと思ったようで「いやだ」と言ったらしい。息子め、いつも後で反省なのだから。

押し問答の結果、息子が夕食の支度をした。「いいじゃないか、何か出前取ろうぜ!!」「倹約・節約なの!!」(←これは、息子がお金は湧いて出てくるもの、と思っているような感じなので、やばい、なんとかしたいと思い始めた。「あなたの大学資金も貯めないといけないから」が効き目があったのかな。納得した^^)

ごくごく簡単なものだが、息子産まれて初めての夕食の支度。三色丼。

 

捻挫も悪いものじゃない。あのお馬鹿息子が、夕食の支度をする事に繋がったのだから。

 

(ほんとうは、映画の中味とか書きたい事は一杯あったのだけど)

 

4月28日(月)

連休の谷間。まぁ私は飛び石の休みは嫌いじゃない。カレンダーの連休は、どこに行くにしても車もノロノロ、目的地も人が一杯。到底お出かけするような気分になれない。それなら、のんびり自宅・近所で過ごすのが一番だ。

飛び石ならば、今日は仕事でも「また 明日はお休み、うれしいな♪ルン」という気持ちで、面倒な仕事も片づける事ができると言うものだ。

 

今日は、嬉しいメールが届いた。盛大にむかむか来るような事があったのだが、それへの対応の下準備に取り掛かかった。その折にはお願いします、との協力依頼をした方から「自分も複雑な思いでした。私にできることがあれば、お手伝いするのはやぶさかではありませんので おっしゃてください。」という内容。

大体の依頼文は、忙しい所を申し訳ありませんが、と恐縮しながら出す。この方のは、こちらの心も受け取って、且つすっきりとした応諾のお返事だ。

忙しい人なのになぁ とまたまた私の中で ◎ 印が増えた♪ 上京してくるのが楽しみだ。

権威主義の人間が多いと、お腹の中で「っとに!!」と思いながら、表面あくまでニコニコ笑顔で「そうでございますね」と交渉して行く。仕事で頭を下げるのはなんでもない。私が頭を下げて上手く行くならいくらでも下げる。どうせそんなご大層な頭でもない。帽子をかぶせる為にあるような頭だし。

私の仕事の関係は権威主義者が多いような気がする。必然「くそーーー!!」と思うことも多い。いや、私が短気なのかな。

いい年なのだから、血が騒ぐのは抑えるようにしないといけないかも。

って、今書きながら思ったのだが、いい年をしながらもムカムカ・くそーを感じる事ができるのって、ある意味では幸せなのかもしれない。

達観とか諦念とかという言葉で誤魔化すような、傍観者にならずにいられるのだから。(単純なだけかも)

 

4月27日(日)

暇な一日だった。暇な時間に無理矢理呼んで相手をしてもらっている正義も、今日は忙しかったのか放置されっぱなし。

本を読んだり、さんまをしたり、ちょっと手間のかかる食事の支度をしたりで過ごす。

体調が完全復活の娘は、今日から免許の為に教習所通いを始めたとの事。(また、お金がまとまって無くなった)

 

市議選挙に行く。都知事選挙は、投票してもしなくても石原現職知事の圧倒的な勝ちだろう、と思いながらも、他の候補者の得票が増える事が、今の都政への意思表示と思って投票にいった。

今回は、身近な市議選。さすがに投票率は少しは良いのじゃないかな、と思ったが18時現在で37%!!! 

この低投票率の原因は何なのだろう。

タクシーに乗って運転手さんに聞いても、友人達と話をしていても、身近な生活感覚は厳しくなっている、という声が圧倒的なのだが。

繁栄ぼけとは言いがたいようなのだが。公約を掲げて当選しながら、平気で任期途中で政党鞍替えするような事がまかり通る国政ならいざしらず、市議選ならば、自分達の声が届くのではないか、という希望も少しはあると思うのだが。

市議戦では、生活は変わらないという諦めムードなのかしら。

とか言いながら私も、現在の政党の名前を挙げてみろ、と言われると詰まる。全然あがらない。

くっついたり離れたり、党名を変えたり、めまぐるし過ぎて「勝手にやってろ!!」と言う感じになってしまっている。

現職をリタイアし年金をもらって生活する頃に、ちゃんと子どもの世話にならずに生活できるのかな?それが心配だ。

 

4月26日(土)

昨日、娘が発熱し喉もいたいとの電話が来る。

来週の3連休までこちらからも行かないし、帰らない予定だったが、今日は主人が様子を見に出かける。

途中電話をすると、ベッドにスノコを敷き(柔らかすぎて困っていた)部屋の模様替えなども済ませた様子だ。

娘の声も、昨日のひどい風邪声から元気になってきていた。

慣れない一人暮らし、慣れない地域、慣れない大学、と慣れないことだらけの中での二十日間で、身体も精神的にも疲れていたのだろう。寮もサークルも楽しい、と案外順調に適応していたのだがどこかに無理がきていたのかしら。

親馬鹿の見本と、笑い話のネタにもした『レトルトおかゆ』が昨晩は活躍したようだ。

私は、今日はあえて行かないことにした。二人揃って行っては、またホームシックをかき立てることになるのではと、それと、どうも私は口うるさく余分な事まで干渉してしまうのかもしれないと反省したので。

夕食を一緒にして、それから帰って来ると言う。

 

4月25日(金)

昨日の過労死についてちょっと調べた事をのせたが、ほんとうに身近な問題だと思う。

数年前に娘が「お父さん、あのままじゃ死んじゃう」と真剣に心配したことがある。

幸い落ち着いたが、あの頃の主人の状況を考えると最後の段階に行っていたのではないかと思う。

完全な休日は月に2回くらい。残業は月に100時間は超えたのではないだろうか。それが一年近く続いた。

座ったら寝ているような雰囲気だった。最後のほうはヨレヨレ状態だった。そういう自分を笑う余裕も無くしていた。

 

それがまた特殊な例ではない。昨年も一緒にいろいろとした方が、そんな状態だった。

最後にはお酒もあまり飲めない、食事もまともに取れないという状態だった。精神力だけでその場を凌いでいるという感じだった。

真面目な几帳面な人間ほど、そういう状態になりやすいのではないだろうか。

なりそうな人間ほど、自分だけは大丈夫と思っている。

今はほんの一時忙しいだけ、これが終わったら、これが済んだら、これが○○したらetc. いつでも忙しい理由はあるのに。

本人にもきっとわかっているのだろう。でも、それを避けることは出来ないのもまた事実だ。一つの使命感ともいえるのか。

仕事にそれだけの想いをもてる人はなかなか無いが。

 

今もいる。「なるわけないだろ」「なるもんか」「ならないの!!」など、ゴタクを並べる。それが危険シグナルなのに。

ほんとにならないように。気分転換に励みなさい、休みなさい、としか言えない。

あくまでも平気だというなら、こき使ってやる!!!

 

私などは、過労死になるほどの状態になったらすぐギブアップするから絶対ならないなぁ。

「ま いっか」の性格の良い所だと思っていよう。

 

4月24日(木)

過労死認定基準=脳血管疾患及び虚血性疾患等(負傷に起因するものを除く)の認定基準

長時間労働の目安

1、発症前1ヶ月間ないし6ヶ月間にわたって、1ヶ月あたりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は、業務と発症との関連性が弱いが、おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できること

2、発症前1ヶ月におおむね100時間又は発症前2ヶ月間ないし6ヶ月間にわたって、1ヶ月あたりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できること

 

 体は疲労するとシグナルを出す。「ああ、疲れたなぁ」「だるいなぁ」「食欲がないなぁ」などと感じた時に、ゆっくり休めば疲労回復するが、「いや、気力だ!」「自分がいなければ、この仕事は・・・」などで頑張ってしまうのが、働き盛りの社会人の置かれた状況だろう。家族は、この時点になると「何かへんだわ」と感じるようになる。感情の起伏が激しくなったり、ぼっとしていたり、ふっと気が付くと眠り込んでいる姿を目にする。「休んだら?」という声をかけ始めるのもこの頃だ。そのうちに頭痛・発熱など身体症状も表れてくるが、ここまでなる人は、「いや、これくらい仕事をしてれば治る」と、疲れきった目をしながら仕事に向かう。家族はますます心配しながら送り出す。帰宅も連日遅く、家でもいつも神経が張り詰めた状態だ。気分転換ができるような精神状態では無くなる。そのうちに、身体の不調をいう言葉もなくなるが、憑かれたような目をしてメリハリのない表情になる。そしてある日、ばったりと倒れる。命をとり止めれば幸いだが。

労災認定は厳しく申請数のうち認定されるのは1割くらいである。因果関係を立証する事が難しく、生活習慣病・個人の身体の不調とされる事が多い。命を奪ったものは仕事・会社である、とその因果関係を過労死裁判という事で求める家族の姿がある。過労死裁判は、命を金銭であがなおうとするのではない。愛する者の命を不当に奪った因果関係を明確にしたい、という残された家族の姿である。

 

月に100時間超の残業しかもサービス残業などはやめなさい。

でも、そういう状況をやめようと思ってやめられたら、そもそも過労死杞憂などしないで済むのよね。

周りの者は、ただ心配しオロオロと「休んだほうがいいわよ」と言っているしかないのかしら。

 
花守りの心

桧原桜(福岡)の話を、今日のテレビ番組で放映していた。

19年前に、沿道に咲く7本の桜が拡幅工事の為に3月朱い蕾を持つ頃に切り倒される事となった。

一本の桜が切り倒された時に、一人の会社員がそれに気づき、市長宛ての一首の短歌を桜の幹に結びつけた。

「せめてついの(最後の)開花を許したまえ」という内容だった。あと二旬(二十日余り)この蕾が開花し花吹雪となるまでを、と祈るものだった。

その短歌が電力会社の社長の目に留まった。部下、そして新聞記者へと人のリレーが繋がり、大きく新聞記事となり、市長のもとに届いた。

いかに市長とはいえ行政の拡幅工事を、一声で止めることはできない。

その頃その桜の幹には、新聞を読んだ人達から多数の短歌が結び付けられるようになっていた。

その中の一首に最初の短歌への返歌として市長の短歌があったという。「(どうなるかわからない)それでも花守りの大和心は残ってゆくだろう」という、確かに心を自分も受け取った、というものであった。

結果は、議会の討議を経て、残る6本の桜を守り、反対側の池を埋め立てる形での拡幅工事と変更された。

今年も桧原桜は、小さいな公園の形で花見の人々を集めているという。

 

ひそやかに花を惜しむ想いが歌に託され、数多の花守りが生まれてゆき、二旬だけではなく今後も咲き続けることだろう、と結ばれていた。

 

4月23日(水)

若い友人から「産まれました♪」のメールが届く。

添付の写真を見てみたら、なんとまぁ 19年前に撮った娘の写真とそっくりな写真!!

月齢も(というか日齢かも)同じくらい。肌着を貫頭衣風に着せて、手足をばたつかせて、お目目がパッチリ。

親馬鹿フィルターをかけずに見れば、手足もまだシワシワでサルそのものの顔で・・・なのだが。 

もうカワイクテカワイクテ♪のコメントに、「ほんと、そうよねぇ」と大きく頷いてしまった。

我が家のおサルさん写真は、主のいない机に飾られている。

 

朝のうちに子ども二人にメールを送った。

娘には『送金しました』 息子には『夕食は冷蔵庫に・・・』メール。

くそーー!!!二人とも返信無し!!無視されているのだろうか。      

ドーセ ドーセ ハハナンカ ホッテオイテイイソンザイダモノネ     ぐれてやる (-_-;)

 

4月22日(火)

目玉商品が一杯あるスーパーによる。生筍が100円!早速購入。

一本は早速筍ご飯にし、あと一本を、連休に帰ってくる娘の為に正義に聞いた保存方法で冷蔵。アクを抜いた筍を、ビニール袋にいれ少量の水をいれて電子レンジでチン。そのまま密封冷蔵。一ヶ月は保つという。

(朝、聞き直したら、無駄な労力も払っていた。筍がかぶるくらいの水をいれたが、そんなにいらないし、密封する時に空気=水蒸気が入っていても良かったという。どうせ水蒸気が冷えてぺったんこになるから)

生筍の一番嬉しいのは姫皮だ。 姫皮のおひたし風を作る。

 

4月21日(月)

今日の夕食は手抜きで牛丼。息子と二人なので、簡単かつ息子の好みという事で楽なのを選んだ。材料も冷蔵庫にあるもので済む。

どうせなら、とトマトソースの作り置きもしておこうと正義クッキングを見る。私の料理はレシピは殆ど見ないのだが、正義レシピを作る時には、「一度はレシピの通りに作ってみろよ」と、幾度も言われているので、反射的に見るようになっている。

「よし!これで文句を言われないで済む♪」と思う自分がなんと可愛いことだろう(笑)

 

土・日と午後から出かけていて帰宅が8時過ぎとあり、簡単にできるものが二日連続だった。

簡単メニューを食べた後に見た正義の酒と薔薇の日々は、ひたすら感嘆して、結構長い時間楽しんで見入ってしまった。

真剣に正義に「お嫁さんに来てください」と再度プロポーズをしてしまった。毎日でなくとも月に一度でも二度でも、このようなお料理を食べさせてくれるならば、うるさいのは我慢する甲斐があるというものだ。

お嫁さんという無給家事従事者が、作ってくれるのなら、少々まずくとも文句は言わないだろうが、ましてやそれがこのような料理ならばひたすら嬉しい・感謝感激である。お馬鹿息子を鍛えるか!!!

8時過ぎに帰ってきて、そのまま食卓に座って『正義の酒と薔薇の日々』が出てきたらなぁ、と想像した♪ うっとりである。^^

その日の我が家のメニューは、たしか、お刺身・ウィンナー・お豆腐のサラダで、お茶を濁したのだった。

 

まぁ、今リンクを貼る為に、ページに飛んだら、真っ赤な薔薇の花束が!!

いい!いい!!!いい!!!!最高だわ。

 

4月20日(日)

知人の出版記念シンポジウムに出席。

いい大人になって知り合った人だが、妙にウマがあう。互いに忙しいので個人的に会う事はなかなか出来ないのだが、ひょんな所で会う事が多い。それも大事な局面では特にそうだ。

「どういう関係なのですか?」と不思議がられた事があり、その時は顔を見合わせて同時に「姉妹なの」と言い大笑いした。

以後、聞かれると「姉妹、ツィンズ!」で通している。

 

大変に困難なことを18年間やり続けた来た方で、しかもごくごく自然体である。

今回出版した本はあの石原都知事が後押しをし帯の賛を書いた。

その賛に私が疑問をもっていたが、彼女も、お祝いを言いに行くとすぐにその賛を指差しこれはねぇ!と私の抱いたものと同じ疑義を発した。しかし、また同時に「割り切って利用すべきは利用して。彼の知名度は捨てがたい。広く知らしめるにはこういうお涙頂戴が受ける」と言う内容を口にした。

自分が発した言葉の背景を多くの説明なしに理解しあえる間柄となれる人はそうそういない。

 

今日のシンポにも学生さんが複数来ていた。映像を学ぶ人たちだという。

『家族の形』というテーマを学校での製作発表に選んだのだという。

フィードバックし自分の問題として捉える意識をもって発言していた。あらためて本当に時代は変わりつつある、と思えた。

 

4月19日(土)

息子の保護者会があった。

むかむかむかむかしながら帰宅。

担任があっさりと言う。15人が留年しました、と。

2年の最初に比べて18人が少なくなっている。(3人が途中でいなくなっている)

一学年260人なので、7%もの生徒が留年=中退したと言う事だ。

勿論、子どもが即ち親が、甘く見ていたというのが一番だというのはわかるが。この7%という数字は、学校の姿勢がおおきく問われるのではないか? 皆中学受験を突破してきた子ども達なのだ。

中学入学以来5年が経った。この学校は、良くも悪くもノンビリしていたのだ。

入学してきた子ども達も、我が家のお馬鹿息子が典型で『過保護でかわいいかわいい』と育ってきた子が多い。

「大学付属校だし、ガチガチと勉強するのはこの子には無理。のんびりしながらそのまま大学に行って・・・。」

あまりにもノンビリしているものだから、進学校のすべり止めに受けて入学してきた成績上位の子の中には、高校時に物足りないと言って受験しなおす子がいる程だった。

 

いきなりの方針変更で、学校の先生達に温度差がありすぎる。

先生達の意識が、日常で大学付属校意識で、のんびり過ごさせ、勉学への動機付けが殆どない。言ったとしても通り一遍の言葉。

いざ、受験を意識し始めた時に無神経な言葉(勿論、表面はしごくマトモな言葉)で、子どもは易きに流れる。

曰く「数学が嫌いで理系は難しい」(おい!!英語が苦手で文系受験はできるのか?)

担任のこの一言で、半年かけて息子に話をしていた、理系クラス進級はお流れとなり、息子は文系クラスに進級を決めてしまった。

息子の英語理解では文系の大学受験は、無理に決まってる。

理系クラスなら、内部進学で大学に行けたのだが(理工系の大学なので)、文系クラスでは外部受験が主となってしまう。

大学に『入る』だけなら、内部進学が格段にたやすい。(正義の昨日のいちゃもんで、加筆。確かに これがないと意味不明だ)

嫌いわからないとの違いを職員間で問題にしてるのだろうか?積み重ねの必要な学科について嫌いが多いことを、学校として真剣に考えていたのだろうか。

勿論、外部受験をして超一流大学に進学する子もいるので、『個々の自覚の問題』と言えることは言える

 

7%もの高校中退を背負った子ども達を、学校はどう捉えているのだろうか。

留年=中退となるまでの成績不良に対して、どこまでフォローしたか。

保護者会の後に3時間ほど、留年とはならなかったが危なかった、という保護者の方の話を聞いてきた。

その子は、超一流進学校を落ちてこの学校に入学してきた子だ。

「なんでこうなってしまったのかわからない。宇宙人みたい」

その親御さんの嘆きが大変理解できる。

 

書いている今もむかむかしてる。高校中退を背負ってこれから生きて行く7%の子ども達の事を考えると、むかむかむかむか。

中学受験をこなし、高い授業料を払って大学付属の学校に入れた保護者。

挙句が、高校中退、もしくは、大学にも行けない(行かないのではなく、行けない!)のでは、学校選びが間違った!だまされた!と、学校不信になるのもいたしかたないのではないか。

まぁ、学校としては自分の子どもじゃないのだから、全然いたくも痒くもないのだろう。(正義の昨日のいちゃもんで、加筆。)

 

4月18日(金)

息子 携帯メールで 「夕メシ食ってくるから」 

娘  メッセで   「お母さん 来ないでいいわ。連休にはきっと帰ると思うから

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・母よ 解放オメデト・・・。

 

4月17日(木)

子ども独立おろろろろ動揺日記も、そろそろおしまい。

宿舎への引越しから10日以上たち、娘が落ち着いて一人暮らしを楽しみ始めた。それで母も、徐々に慣れてきたのかもしれない。

考えても居なかった子どもの独り立ち(って経済的にはまったく親への依存だから独り立ちとは言い難いが)で、母としての私も精神的に参っていたのだろう。

この間大分正義に迷惑(?)をかけた気がする。いや、気がするのではなく「迷惑かけたんだよ!!!!」と言われるだろう。

毎朝ぐだぐだうじうじ詮無いことを、果てしなく言いつづけていたのだから。正義が口の悪さに似合わず、我慢強い(!)のでほんとに嬉しい♪ ありがと。

 

落ち着いて周囲をみれば、年度始めに特有のバタバタもあり、しかも仕事外での活動も組織変更の中でいろいろと雑事が詰まっている。

流石に職業人の私は、母としてのおかしさを引きずらずに、それなりにこなしていたが。まぁ、上の空でも何とかなる位には経験は積んでいる。懸案事項のケースも、この一ヶ月来の働きかけで来週早々には解決しそうだ。

さぁ、がんばるぞー!!

差し当たっては、この土曜日のお馬鹿息子の保護者会だ。役員は出来そうもない事を自分にしっかり言い聞かせないと、帰って来るときには役員を引き受けてしまって頭を抱えている事になる。できないのだ!できないのだ!!できないのだ!!!

シーーンと静まり返り、皆さん下を向いている雰囲気に耐え切れなくなり、自分の頭の中で『ああやってこうやって、こう有休をとって夜に○○をすれば、なんとかなるかもしれない』などと考えてはいけない。やれる方はいるのだから。

 

4月16日(水)

ふぅ……。ポチ小屋の掃除をした。

娘がいなくなってから、私がポチの世話をさせられている。主人も息子もポチに関しては、餌をやったり遊ばせたり以外(要するに小屋掃除)は、ガンとしてしてくれない。一度でも手を出したら、私がそれをいいことにやらなくなると読んでるのだろう。

掃除をしながら毎回思うのだが、娘は浪人生の分際で、こんなに大変なことを一手に引受けてやっていたのだなぁ、これなら前期落ちたのも頷けるというものだ、と。

ポチの排泄物は96時間で雑菌が繁殖するのだからね!!!と、幾度もしつこく繰り返された。ポチが病気になったら私のせいなのだと脅迫まがいまでされた。

娘が少しでも気持ちよく自宅を離れる事ができるようにと、3月末から4月初めのころの私は、なんでも彼女が言う事を聞き入れた。

そのツケが回って来た。こんなに大変な事だとは思わなかった。

今度から子ども可愛さの過保護母とはいえ、良く考えてからYesの返事をするようにしよう。

ねぇ娘〜!!!これから何年も、母はポチ小屋の掃除を続けないといけないのぉおおおおお???????

宿舎になれたら、連れて行きなさいよ〜〜〜。(_・。)グスッ

 

4月15日(火)

春の雨、一雨ごとに暖かくなるというが、今年は暖かくなったあとに降っており雨の冷気が気持ちよい、という変な陽気である。

昨年は桜が異様に早かった。今年も早そうな雰囲気だったが、開花の時期になってきたら少しづつずれて結果としては例年通りとなった。

ここまでは気を持たせているかのようだったが、開花してからの陽気が異様。日曜日は群馬の方では26度を越したという。

季節の移ろいに少しづつ変化がある事はいったい何を意味するのだろうか。植物・動物の生理に異常は現れないのだろうか?

日本という環境に変化が現れているのだろうから、何もない訳が無いと思うのだが。

 

娘が言ってくる学校必要品に解剖セットとかスケッチとかの単語が出てくる。面白そうだわぁ。

講義・サークルもはじまり、キャンパス生活に一週間で完全に満足したようである。寮も楽しい、と言ってきた。

関数電卓が必要だから、自分の部屋をあさって送って欲しいとのメールが届く。

みかん箱を調達し、スーパーに行く母。あれこれと買い込み(数千円分払った^^;)箱の中身の殆どは差し入れ品となった。

娘にさえ「おいおい」と言われる。 まぁ いい。こんなものだ。

 

4月14日(月)

塩野七生に『人びとのかたち』という著作がある。映画エッセーである。

取り上げられている作品は、映画文化に縁の無い私でも知っているタイトル・スターが目白押しである。生憎と殆ど見ていないのだが。

古代ローマ・ルネッサンスのイタリアを舞台にしての作品が多く好きな作家だ。ただでさえ華麗な時代背景をもとにして、そこで一人の人間を華やかな上にも華やかに描いてゆく。

その彼女が映画エッセーを書いていたのを始めて知った。

私は映画を殆ど見ていないのだが決して嫌いな訳ではない。なかなか見に行くチャンスがないだけである。

ただ、原作があるものは、私にとってやはり他人が映像化したものよりも、原作を読んで自分でほしいままにイメージしたものとは、かなり違ってしまう。当然自分のイメージのほうがしっくりくるものだ。

『人びとのかたち』を読んでいると、そこで触れられている映画を見てみたくなる。また塩野七生の言葉が実に良い。

恋愛映画を取り上げているのが多いが、たとえばマレーネ・ディートリッヒの『モロッコ』について語っている最後の言葉がある。

 

「たった、それだけ?」「そう、たったそれだけ」 だが、そのたったそれだけで、女は生きていけるのである。

 

私は映画であれテレビドラマであれ、登場人物の、しぐさ、一片の言葉、まなざしというたったそれだけのものに、裏にあるだろう数多の感情を読んで惹かれる事が多い。小説では尚更である。

塩野がこの本の中で映画を評して語る言葉には、洒落た小粋な文章がちりばめられている。

エッセーを見て映画を見たいと思うのは邪道だろうか。そのうちにDVDでゆっくりと観賞してみたいものだ。大画面で見るのとは随分違うだろうが、今では大画面で見ることはきっと無理なのだろう。

 

4月13日(日)

暑い!!!!

どうなってるのかこの季節。寒い寒いとふるえていたら、今日は汗ばむ陽気。

3連続で夜外出の不良主婦も、今この時間(9時半)に帰って来た事で終了。楽しい事もあるのだが、疲れ果てた。

もう若くはないなと痛感するのはこういう時だ。

重いPCを持って一時間強の電車にゆられるのは、いきなりの暑いといえる程の陽気と重なり、ツライ。とうとう帰りは乗り換えを嫌ってタ○シーを使用する事となる。浪費だろうが、贅沢者だろうが、不良主婦だろうが、何とでも言って!!という気持ちである。

1380円の浪費だった。かわいい娘が、一週間の収支が300円合わない!!と頭を悩ましながら家計簿をつけて倹約・節約に努め、初めての一人暮らしをしているのに、と少々後ろめたい思いを持つに十分な金額だ。

ごめんねぇ娘。母はこれからは充分に節約するからね、今日だけはゆるして。

 

4月12日(土)

昨日の夜遅く帰宅。それからメールを見たら娘からPCメールが来ていた。「ネットに繋がった〜♪メッセンジャーに繋げて欲しい」との内容。あとは、むにゃむにゃむにゃ。

部屋の入り口の暖簾を縫ったこと、夜桜見物でお酒を紙コップ二杯半も飲んでクラクラしたこと、などなど。

お花見から帰ったら、ネットに繋げることが出来るLANケーブルが届いていた事、などなど。

筑波は花粉の聖地!という実態を今日聞いたという事。なんと可哀想な娘だろう。電話の声がいつも鼻声なのはその聖地のせいだったのか。「つらいっす!!」に、思わず空気清浄器を買って送るという事にした。

と、ふっと気がついたら今日になっていたので、今日の日記を感謝と共に記して おやすみなさい。

 

って、この日記を書いてから正義のいちゃもん日記を見たら、なんと娘のことまで「悪魔の娘」と書いている。

こら!!!かわいい娘になんという形容を。

 

4月11日(金)

午前中は笑った。

ちょっと時間が空いたので(ほんとは書類をまとめないといけないのだが)娘にメールを打つ。娘は講義開始そうそうに、2時限目が休講だったそうでラッキ〜♪で、ゆっくりとしていた。それから母娘でメールのやり取りをしばらくする。私は携帯で受けてPCで返す。親指でピコピコなどとても打っていられない。娘の返信は長いのがあっという間に返信されてくる。殆ど携帯のキーは見ていないのだろう。

「最初だからだろうけど、約一週間の間で一万円近く使った。これはあせった方が良いと思う。節約節約(^^)」的な内容を書いてよこす。思わず「節約は良いけど、ケチにならないようにね。どうにも足りなくなったら『カネ オクレ!!』しなさいね」と返信してしまった。数百円のものを考えて買うようになっている。母としては、嬉しいのか悲しいのか…である。

いや、こういう母も、お夕食などの買い物は、値段を見比べて少しでも安いものを買うようにしているのだから、しごく当然のことなのだが。娘がこういう心配をしていることが、どうにも母の心の中で座りが悪くもぞもぞしてしまう。

 

しかし、私も辛抱が足りない。『カネ オクレ』は絶対にさせない!! と娘の一人暮らしに当たって、充分に戒めていた筈なのだが、こんなにも早くこちらから言ってしまうようでは、なんとも情けない。

お金は降って湧いてくる物ではない、という事を実感する良い機会を、親自ら潰してどうする、と反省しているが、その時はあまりにもイジラシイような気がしたのだ。まぁそこまで母に思わせるほどに、ほんの数日で生活感覚が出てきたことに驚いてしまう。

一人暮らしとはすごいものだわ。

 

4月10日(木)

言った私が馬鹿だった。

入学式のニュースが大学のサイトで紹介されていたのを見つけた。その写真の一枚の端っこに私がたまたま写っていたのを、朝に話題にしたのだが、あっという間にその写真にコメントをつけてアップされてしまった。まぁぼけぼけだから別に構わないようなものだが。ほんとに面白がってなんでもかんでも遊ぶなぁ。(って、いつもながらだがその作業の早さに驚いた。ちょっと反応が鈍いな、と思ったら「これで どうだ」とアップしていた)

引越しの時、入学式の時と一枚も写真が無かったので、私も取り込んでおこう。

 

夕食にキンメの干物を出した。8時過ぎに帰宅した息子に合わせて焼いていたら「今日のメシはなんだぁ!」と台所にきて、案の定いやぁぁぁぁぁな表情をして去る。そのまま不機嫌な顔で夕食に座っているので、思わず「明日は煮魚にしても良いと思っている」と言った。「熱いうちに召し上がれ」と催促すると、しぶしぶ箸をつけた。その後は何も言わないでいたら、普段よりも綺麗に食べていた。これ以上不機嫌にしていて明日も煮魚にされるのがイヤだったのか、それとも熱いうちに食べたので美味しかったのか ^^;

ワガママが過ぎる。贅沢だ。って、そう育ててしまったのは私の責任であるが、腹が立つのは立つのである。

 

今夜は娘に8時半頃に電話をしたが、出てこない。む・・・夜遊びか!とチョッピリ心配したら、学類でのセミフォーマルでの歓迎パーティーだったそうだ。隣り合った教官が、面接を担当された方だったようで「しっかり覚えられていた」そうである。他の教官にもわざわざ紹介してくれたそうだ。娘は「すみません。覚えていないで」と言った所「受験生が覚えているほど余裕があるんじゃ困るよ」と面接に引き続き、またまた笑われたとか。「期待してるから頑張りなさい」と言われ娘はその気になっている。

さすが大勢の学生を相手にする教官。嬉しがらせてその気にさせる、上手なものである。

 

4月9日(水)

正義のサイトが更新されていない、と昨日書いたら早速いちゃもんをつけての4月分が更新されていた。

時にはあまりにいいがかりを付けられると真剣に頬がふくらんでしまうのだが、無ければないで淋しい気もするので、ちょっと突っついてみた。たまには誉めてみても(=真実を言っても)バチは当たらないとおもうのだが。

 

今朝も今朝で正義は無茶を言う。何かと言うと

娘の宿舎で外線が繋がったが、5月になると言われていたネットの接続に関しても『8日に設定が終わりました』との連絡が電話会社から入っていたと言う。(by娘)

ところが、以前にLANケーブルが必要と言われていたが、持たせるのを忘れていたので、正義にどこで売っているのかを聞いた所「でんきや」。いや、電気屋はわかるが、娘のいる所から近いところではどこに(電気屋が)ある?と聞きたかったのだ。

しかもである、正義に「正義の余ってるLANケーブルあげて」と言ったら「あほ」と言われた。その上に『大学の研究室にもぐりこんで、ネットワークに詳しい教官にちょうだい で簡単に手に入る 腐るほどあまってる』などと言うのだ。新入生でまだ右も左もわからない娘、花も恥らう新入生が、そのようなずぅずぅしい真似が出来る訳がない。(いや、おばさんの私だって出来ない)

正義に「(余ってるであろう)ケーブルあげて」と言うのがあほだと言う以上に、もっととんでもない事だと思うのだが。

接続方法について通信会社がなんと言ってきているのか、正義に矢継ぎ早に聞かれた事を中心にして、娘に確認する必要がある。自立に向かった娘に、賢い母としては電話を何度もしたくないのだけど仕方がないわ♪ 夜にでも電話をしてみよう♪♪

(って、私は今朝ちょっとだけ反省した。つまらん事をあれこれ正義相手に話ししてるのに気がついたから。まぁ賢い正義は、自分でちゃんと対応策を取っていた=ちらちらしか見てないから どうでもいい と言ったので安心して、これからも くだくだ言える)

 

娘は毎日8時半から6時までびっしりで、買い物にゆく時間も取れないそうである。もしかしたら毎日は夕方6時までの講義は取らないで済むのかもしれない、とも言っていたが。

昨夜は早速新しくできた友人達と部屋でお茶をしたとの事。そんな普通の事を聞いて和む母である。

 

4月8日(火)

正義がホームページの作成を教えてくれたのが昨年の4月。すでに一年が過ぎた。

日記をほぼ毎日書くようにしたのが8月くらいからで、9ヶ月続いている。

過ぎてみれば早いものだ。

サイトの家主であり、日記の本家でもある正義は、私への罵詈雑言・悪口をでっち上げるにもネタ切れなのか、3月で更新がない。

無理もない。いくら口の廻る正義でも私に対して、ありもしない事=嘘八百を並べ立てるのは難しいのだろう。(*^^*)

東風日記のSTOPのほうはわかりやすい。忙しい正義に日々日記を書かせるのは申し訳ないと、私が頑張って1600を維持し続けているからだ。まぁ、Rはやっぱり又負けてしまったけど。いいのだ、気にしないから。

 

一段落ついたような気がする。宿舎への外線も繋がった。ネット環境は5月までお預けらしいが。

娘への初めての宅急便も送ったし、初めての仕送りを銀行振込もしてみたし。

引越しがほんの2日前だったとは思えないほど長く時間が経った気がする。

早速夕方電話をしてみたら、丁度帰ってきたばかりだと「なんで電話番号知ってるのぉ??」と驚きながら出てきた。

今日は激しい雨でグッショリと濡れて帰ってきたそうである。

早速に英語のテストがあったそうだが「ぜーんぜん、出来なかった」。当然だろう。前期の試験が終わってから一ヶ月半、まったく勉強(?)はしていないのだから。

声は元気だった。これから暫くは毎日電話をすることになるのかもしれない。いや、それはマズイか。せめて二日に一度位にしようか。

 

4月7日(月)

入学式も終わり、1時過ぎに無事に大勢の中で母娘再会も果たして、宿舎の鍵の受け渡しも済ませた。

大勢の人の中だったので、互いに泣く訳にもいかずに済んでホッとした。

そのまま東京に戻ってくる筈だったのだが、バスストップに辿り着くまでに小一時間かかる。

4人くらいに聞き、南に北に西に東に歩き回った。要するに迷子になったのだ。構内が広すぎるし道案内も余りないのがいけないのだ。

東京に辿り着いたのは4時半。かよわい両方の足の裏には豆が出来ていた。履き慣れた靴なのに。それだけ歩かざるをえない二日間だったのだと改めて一足毎の痛みに実感した。

 

自宅に戻るには中途半端な時間になったので、6時からの会議までゆっくりとお茶を飲んで過ごした。

ほんとの帰宅は12時を廻った。ハードだった…。

 

4月6日(日)

現在18時40分。なかなか居心地の良い娘の9平米の宿舎になった。

ハイルーフのワゴン車一杯の荷物を持って9時に到着。テントを張って新入生の引越しを手伝う為に待機していた学生さん達に声をかけたので、無事に荷物は運び込まれた。正義にも「手伝え〜♪」とのメールを送ったのだが(笑)、無視された ρ(..;) タラ…

夕食を一緒にしてから親は帰宅する予定だったのだが、夕食の途中から娘が「胃が痛い」と言い出す。明らかに不安と緊張から。

結局、明日の入学式に保護者は列席は出来ないが、別室で大きな画像で中継されるとの事なので、それを見てから帰ることにした。

昼間の別れのほうが、まだしのぎやすいだろう。

 

いやぁ、まいったまいった。正義の「常識外れ」「過保護」「信じられない」「つきあいきれない」「規則違反だ」「外で段ボールで箱を作って寝ろ。宿舎ホームレス一号になれ」などなどなど、罵倒されまくった。愛想がつきたといわんばかりだ。

そんなに変かしら。初めて子どもを外に出す親が、引越しについてきてそのまま数日滞在、というのはよく見かける光景で、今までへんともなんとも思っていなかったのだが。

宿舎に泊まるのがおかしい、というらしいので私は良い解決案を考えついた。

正義が段ボールで外に寝て、正義の部屋を明渡せばよいのでは?そうすれば万事解決だ。車で迎えにいらっしゃいよ。

 

4月5日(土)

天気予報があたり、朝から花散らしの雨が降り続いた。

桜はまだまだしっかりしているので、この雨によって散るのが早くなる事はないと思うのだが。

 

あと少し気温が下がれば霙になってもおかしくない雨をついて、明朝早く出発する為に娘の自立支度の荷物を車に積み込む。

横にしては冷媒(?)がおかしくなると言われながらも、あと数センチ車高が足りず冷蔵庫は横に積んでしまった。

かなり毎日買い物をしたつもりだったのだが、荷物を運び入れてからも現地で買い物をしなければならないものがある。

明日は日帰りで帰宅するのか、それとも一泊してくるのか、はっきりと決まっていない。

あちらに行っての出たとこ勝負。周囲の雰囲気次第、そして娘の様子次第。

 

最後の日だというのに、娘は午後から高校のクラス会に出かけていって未だ帰らず。

家族揃っての最後の夕食は昨日終わらせてはいたが、これからは娘がいないのが通常となるのかという思いが、主人、息子、私の会話に折々出てきた。

曰く「これからはボク一人で食卓の支度?」曰く「クラブで帰宅が遅くなる時は早めに連絡をしてくれないと、お母さんはずっと一人で待ちつづけないとならないから、必ず連絡ね」曰く「これからお米は何合炊けばいいのかしら」

 

せめてもの心尽くしと、娘の荷物の中に綺麗なティーカップを2客いれた。

せまい部屋の中、時間のゆとりもなくなるだろう。疲れて帰って来たときにお友達とポットでリーフティーを淹れ、美しいカップでお茶を楽しむ時を持ってもらいたいと思う。精神のゆとりを持ちつづけて欲しいとの母の願いである。

 

4月4日(金)

彼女は、数年の間一人心で育てた思いを一旦は成就した。

しかし互いの関係が次第に変化していった。変化したのか、それとも前提が違ったのか、それはわからない。

自分の存在を価値観を相手に合わせる事を要求されはじめた時に、彼女は相手に問いかけ続けた。自分の生き方・自分の価値観を相手は愛してくれたのではないか?恋愛関係を続けたいが為に、それを押し殺す事は、相手が愛した自分を無くす事になるのではないか?と、自分にそして相手に問い続けた。

死にたいと言う彼女の今も、時とともに風化してゆくのだろう。

そっと想いを寄せて行く愛もあれば、自分でその強さに耐えかねて燃やし尽くすまで行きつかざるを得ない愛もある。

想いの他は何も必要としないことは、よくあるようでなかなか難しい。

愛の為に何もかも捨てることが出来ると思う時、それは本当なのだろうか?

 

明日は花散らしの雨だという。

 

4月3日(木)

桜満開。昨日が雨で寒かったが、これから来週の初め頃までは満開、その後は花吹雪。来週一杯は楽しめるだろう。

夜桜の下で熱燗の杯に風に誘われた花びら一枚がフワリと浮かぶ。う〜ん 最高♪と、熱燗は飲めない私が、風情で言う。

今年の私の花見は、娘の引越し荷物を運びながら、泣きの涙を花びらで吹き払う事になるのだろうか。

娘よ、楽しい花見を過ごしなさいね。

 

あちこちからの「おめでとうございます」のお祝いに、なんとも言えない表情がでてしまう愚かな母。

まぁ皆さん、母の気持ちをすぐに理解してくださる。それだけずっと自他ともに認める親馬鹿ですごしてきた証だが。

娘と一緒に買い物している姿からは、淋しい気持ちは全然分かってもらえない。楽しそうに見えるようだ。まぁ楽しいのは本当だけど。

本日は、帰りに待ち合わせて娘の入学式の為のスカーフを購入。お風呂道具・鍋・その他もろもろも、あっという間にいくつもの袋が。

26日以来、なんだか毎日そのような細かいものを買っているような気がする。まだまだ何かしら足りない思いがする。

まぁ、どれだけ買ってもこれでOKという事はないのだろう。そろそろ終わりにしたほうが良さそうだ。

娘の行くところは、お店の一軒もないド田舎じゃないのだから。デパートもすぐ近くにあるところだもの。

(とはいえ、最初に娘が一人で買い物に行って、「一応選んだのだけどぉ…」と決めかねて電話を寄越したスカーフを見たが…。これから一緒にお買い物でセンスを磨く筈だったのだが…。むぅ 手放すには不安だ、心残りだ、困ったものだ。)

 

4月2日(水)

エイプリールフールとは空しいものだ。一夜明けたら何も変わらず、せっせと荷造りに気だけが急いている。

肝心の娘は、自分の洋服など身の回りの物の整理・荷造りの気配は全くない。平気なのか?

引越しの翌日は入学式で、それから一ヶ月は帰って来れないと思うのだけど??

正義の開口一番は「後 4日〜」(娘の引越しまでに)という、相も変わらぬ意地悪言葉だったし。

ま、何もかもなるようになる、楽しめば良いのだ。

私の行動範囲も80km増えると考えればOK。車で二時間なら楽なものだ。二時間かけて、娘とデートをし、お夕飯の為に美味しいキムチとデパートで天ぷら・トンカツを買って帰れば良いだけの話。そのうち某大学の中の池に放されている鯉でも捕まえて、鯉こくでも作ってみよう。

そうだ、そう考えれば良いだけの話だ。どうってことはない。せまい日本。外国に行く訳じゃない。

まだまだ手間暇のかかる可愛いお馬鹿息子が残っている。 暇〜ひま〜ヒマ〜 と言える贅沢な時間がある訳じゃない。

はぁ…………………

夕食も終わり、のんびりとしていた所、息子が「ねぇ 今ボクが送ったメールみた?」

急いで開いてみた。

↓ が一行。

(σ-"-)σ巛巛巛サイミン   (_)Zzz

なんとも……。 ^^; まぁ可愛い高校3年生ではないか。

4月1日(火)

素晴らしいニュースが矢継ぎ早に入る。

娘が進学する大学は、ずっと昔 学生運動がピークを迎えた時期に解体され、ド田舎に名称も新しく作りなおされたのだが、今年の4月からは以前の(今は大学院の一部が残っている)敷地に戻って来るそうだ。これで娘は、自宅から通える。哀しい親子分離をしないで済む♪

可愛い息子は、心機一転「うっせー!!!」を言わなくなり、毎日勉強スポーツにイソシミ、母をオロオロさせないと言う♪

お魚も大好きになり、母と一緒に煮魚が美味しいと毎日食べてくれるという♪

そして、あの口の悪い生意気正義は、「あほ」を連発する反抗期が終わり、以前のように「はい、おかあさま」と従順に素直な正義に戻ると言う。ひたすら優しく身をつくしてくれるそうだ♪ もちろん「払え!!!」など口が裂けても言わないという。

この一日で我が身に起こったこのいくつもの素晴らしい事。 夢かうつつか うつつか夢か。

 

本日のメニューは 筍ご飯、蛤のお吸物、豚の生姜焼き、切干大根の煮付け

娘の大好きな筍ご飯を、あと数回の夕食の為に作る。娘は嬉しそうに「混ぜご飯は、私が帰って来るときにしてね」。