2003年1月分

 

あけましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いします。

☆ここでは、正義が毎朝、どう私をいじめているのかを披露します☆

07:57 <himemaru> まだ 何もかんがえてないもの
07:58 <himemaru> お馬鹿正義日記とか。。。。
07:58 <himemaru> いいかもしれない
07:58 >seigi< おれは 管理者だから いくらでも 削除できる
07:58 >seigi< 検閲できるのだ
07:58 <himemaru> ふふん
07:59 <himemaru> 言論の自由を
07:59 <himemaru> 要求します
07:59 <himemaru> 200 もいらないわ
08:00 <himemaru> 10あれば、お馬鹿正義日記できそう

 

1月31日(金)

いちゃもん日記1月31日に「あきれかえって、物も言えないとはこのことです。」と書かれている。(言ってるじゃないですか!)

2月の日記のスペースを作ったが、何も書かれていないページに、ちょっといたずら心を起こして、私がいつも正義に言われている言葉を一見では見えないように書いておいたのだ。でも全然気づいてくれなかった。ちょっと注意深くみたら白く色が抜けているのがわかるようにしておいたのだが。って、気がつかないのがあったり前かもしれない。明日になったら消して、普通の日記になってしまうので、今朝、とうとう業をにやして「気づいてよ!」とヒントを与えてしまった。

書いたものをけちょんけちょんにけなされていたが、あえて正義の精神年齢に合わせたつもりだったのだ。(ばーか!あほ!という内容ね)

今度からは、遠慮しないで、本来の自分の格調高さをいたずら書きにも持ち込むようにしよう。

 

>どの面さげて、との正義の疑問に答えると

(*.*) ← この顔をさげて、二児の母でございます、浪人生の母でございます、と言っております。

 

1月30日(木)

息子が携帯を持ったは良いが、連日メールで「帰りは8時か8時半」と送ってくる。

クラブだった、ちょっと友達と、が帰ってきた時の言い訳。いや、家と学校の往復をして真面目ないい子を演じて欲しいとは思わないが・・・・。

携帯は上の娘も高校二年で持った。ずーーと、反対していたのだが甘いのかしら。娘の時は学校には持ってゆかない、という約束をして、守っていたのだが、息子には全然そういう約束はしなかった、どうせお馬鹿息子には守れない約束だ。

ただ一点「学校に持って行って見つかって取り上げられたら、親は謝罪にはいかない。そのまま諦めなさい」という事だけ言い聞かせた。

うーん、やっぱり甘い過保護な母だ。過保護な母からどうしようもないバカ息子が育つ。

先々泣くのは見えてるのかも。お嫁さん、ごめんなさい、先に謝っておきます。

 

お料理一口メモ

お料理番組を見ていた。忘れないうちにここにメモ書き。

ビーフシチューを煮込む時に、ビターの板チョコを加えて煮詰めて行く。甘味を足すのではなくコクを加えるという考えなのだという。

カレーの仕上げにコーヒー(インスタントで可)を少々で、香りも味のキレも際立つ。それと同じようなものなのかもしれない。

ワインバター=赤ワインを柔らかくしたバターに混ぜ込んだもの。ビーフシチューなどの仕上げに加えるとか。

やってみよう。

 

1月29日(水)

毎日日記を書くと宣言し書き続けてきたが、このところの日記は娘の受験のことばかり。

少ない人とはいえ他人も読むのに、このような見知らぬ子どもの受験の事ばかりでいいのかな、とふっと思った。

とはいっても、もともと最初は、他の人を意識してのものではなく、自己満足でWebサイトとはどうやって作るのかの試作品として、全くのド素人から、正義に教わりながら作ったのが始まりのページだった。

「わぁ、ネットで自分が書いたHTMLが見える〜♪」と、感激したものだ。それからは技術的な進展は当然のことながら殆ど無く、いつの間にか毎日、日記を書くと言う事が目的となり今日に至る。

サービス精神もあまりないので、読んで面白いか、受けるか、も殆ど気にせずに書き散らしている。あまり個人特定されるような部分はぼかす、という位が書く際に気にしているだけだ。

こうやって日々何かしらを書く、という行為をして見ると、私の毎日は、食べ物・子ども・東風の3点が殆どをしめている気がする。

こういう日常生活の中で、何かしら日々書き残すというのは結構大変なものだ。

 

しかし、毎日ドラマティックな事が起きるような人生など、そうないだろう。

決まりきった日常の流れ、その流れの中にたゆたいながら、漠然を今日を過ごし明日をみている日々。

静かな流れの表面に、時折波紋が生じ広がってゆく、子どもの受験、ペットの生命、etc。

 

1月28日(火)

なるほど、正義の27日のいちゃもん内容がわかった。

「押さえでセンター入試をしておいた」というのは、センター試験の得点を利用した私大の入試方法があるので、それを言ったのだ。私大センター利用入試といわれているようだ。

出願は、センター試験が始まる前にする。どれくらい点数を取るかわからない状態で出願をするのだから、センター試験を失敗したら、その時点で発表を待つまでも無くアウトだ。もっとも、センター試験を採点して点数をクリアーしたつもりでも、マークミスなどのチョンボがあったら、それもわからない。私大センター利用入試には、押さえの意味と、マークミスなどのチョンボをしてないかの確認の二つの意味がある。各大学が独自の試験をしない為に、出願料は一般入試の半分くらいと安くなっている。多科目利用もあれば、1or2科目だけのと、学校によっていろいろある。多科目を利用するセンター利用入試に出願すれば、合格がくれば、マークミスは無かったと、安心する事も出来る訳である。概して私大センター入試の合格点はかなり高目だ。A判定に9割、8割5分などはザラにある。この点数をとっててここが第一志望????と思うとこも多分にあったので、試しに出す人が多いのだろう。募集人数も少ないけど。

 

娘にはやりたい事があるが、そのやりたい事をする為にはそれなりの前提をクリアーする必要がある、と言ってきた。

私立の理系も学費が安い所と高い所とに分かれる。高い所は文系の2倍だ。安いところはそれなりに入るのが難しい。

それなりの点数が取れないのなら、即ち努力する事ができないのなら、将来やりたい事がある!という資格はない(当然将来の見込みもない)。親の情けで、押さえの入学金を払い込み、どこか大学には行かせてあげるけど、理系私立のバカ高い学費を払うつもりはない、文系で己をみつめなさい、4年のうちに新しい道も見えてくるでしょう、ということだ。

 

まぁ、娘も、だから志望校選択に迷いに迷ったのだ。前期から確実を狙うか、せっかく一浪したのだから気持ちを納得させる為に前期はあくまでつっぱるか、そしてサクラチルで文系私大に行く事になるか(それはヤダ!と)。まぁセンターの得点が中途半端だったせいもある。どうも試験度胸がないようだ。

当初考えていた二つの大学だと、どうにも悩みが尽きなかった。

決め手は二人の人からの助言にあった。

予備校担任からの「前期から○○にするのは悔いが残るんじゃないか?」と言う言葉。(合格率だけを考えた助言をする人じゃないみたい)

あと、この数日で急浮上し、結局後期に選択した大学。詳しい情報を教わり、娘も「それなら、あそこの研究環境は最高だし」と、あっけなくコロリと変わる。以前からそこを進めてはいたが、遠すぎるからいや、と耳を貸さなかった娘の、その変わり様には、情報の多さの大切さを痛感した。

とはいえ、確実かどうかは勿論不明なのだが、迷いがなくなったようである。

 

試験は水物、いったいどうなるのだろうか。競馬になぞらえての本命、対抗の意味合いとはちょっと違っているかもしれないが。

「行きたい所=希望」を指標にすれば、前期 本命  後期 対抗    by娘

「現実を見つめて」言えば、前期 穴  後期 本命 という所か。   by母

(でも、駄目だった時に、本当に「文系私大でいいでしょ!」と言えるかなぁ。。。この過保護母 自信がない)

 

1月27日(月)

朝一番に正義から26日の日記についていちゃもんがつく。「大体は推測できるが、スムーズに理解できない」のだそうだ。まぁ、省略してる部分も結構あるからそうかもしれない。素直な私は、それを受けて、おとなしくちょっとだけ追加訂正をしておいた。

「暇なときにいちゃもん指摘して」くれるそうである。いや、どうぞお仕事に邁進してください。一生懸命稼いで私に仕送りをしてください。それで結構でございます、はい。

風化した私の脳みそでは、少し時間がたったら、自分でも何を言いたかったのかわからなくなるだろう、という正義の優しい気持ちかららしい。へん。日本語の意味がひっくりかえっているのだろう。

 

夜、仕事から帰ると、娘は「食欲がない。気持ちが悪い」とお布団の中。

7時頃に帰ってきた息子はただいまの前に「頭が痛い。行動不能」と言い捨てる。二人とも熱はない。

娘は、ちょっとした気分の問題じゃないだろうかな。息子は息をすると喉が痛いというので、これからの様子見。

何しろ寒かった。一日中降っている雨が、雪にならないのが不思議なほどに、底冷えのした寒さだった。

 

1月26日(日)

面接受けを良くする為に、黒髪の写真を撮り直し2つの受験校の願書を書いている娘。「一体何回住所を書けばいいのかしら」とウンザリした表情。

大変よくわかる。かなりの記入欄があるのだ。一人分でこれだけあるとしたら、出願先の大学としては、大変な量の事務仕事が発生するだろう。

大学側は、すべての志願者の願書に目を通している。昨年娘の友人が、願書に記入ミスをしたまま出願し、青くなっていた所、出願先から連絡が入り、訂正を求められた事があったという。何千人分かを確認する、考えただけで大変だ。

すでにセンターを受験しているのだ。その資料でどの大学への志願も全て共通させることくらいは、しようと思えば簡単にできるのだろうに。各大学には写真つきの志願書一枚だけで済むようにしたら、かなりの無駄が省かれる筈だ。

    ・・・・・・、この考え方を延長していけば、いわゆる国民背番号制とか陰口を叩かれる制度に繋がるのかな。

 

一つだけ受験ですめば嬉しいのだが、そうもゆくまい。母としての私は2校の募集要項をみながら手続き費用・手順などを再確認。

受かってくれたらどちらでも良い。本命に受からなかったら、押さえでセンター入試をしておいた学校に放り込む。センター試験でマークミスがあったら、すべてアウト!プ〜である。

マークミスが無かったと考えて、滑り止めの大学への入学金振込みを「しないにしない?勿体ないから」と提案したら、娘に「そんな恐ろしいこと言わないでよ」と即時却下された。ま、それはそうだろう、現役だった昨年とは立場が違う。

○十万のお金を捨てる事になったら大変嬉しい、という贅沢な思いは、人生でそう何度もある事ではない。あきらめてお金を用意しておこう。(でも、1/3上げるから、と提案したのだけどな。結構な額だと思うが)

 

必死な面持ちで願書を作成している娘の傍で東風を打っている母親。ラスラスラスラス・・・・。どんどん冷静さを欠いてゆき、ますますドツボにはまって行く。

今日は、知り合いがちょっとしか顔を出さず、朝から相手をしてくれていた正義にまで「ひめの おもりも もういやだ」と言われてしまった。

 

1月25日(土)

娘と一緒に美容院へ。娘は黒く染め直し。私は半年振りというか、ほぼ一年ぶりにカット&パーマ。

美容院に行くのは嫌いだ。4時間近くかかって時間が勿体無いし疲れる。

一人ではなかなか行く気にならないので、娘が行くのにくっついて行けて良かった。

また一年近く行かないで済む。

と、つらつら考えると、娘と一緒に買い物にいったり、お喋りしたりと結構楽しんでいる。

娘が傍にいなくなると淋しい、と思うことは、子離れの出来ていない母の典型か。

過保護な子ども達、と思っていたが、母も多分に依存しているのだわ。人との関係が片側通行と言う事はあまりない。

 

1月24日(金)

寒い、ひたすら寒い。暖房をつけても殆ど関係ないような気がする。

 

息子の両手すりむき痛々しい包帯姿も無事化膿することなく完治。

完治する前から、体育に参加=バスケットボール・・・・。

 

娘も悩みぬいた志望先を決めて一段落!!!(するな!一段落。これから本番なのに!!

二時間半のお友達との長電話・千と千尋の神隠しTV放映観賞・・・・・・・。ま、いい。本人の問題だ。

「お勉強しなさい!」と、言わざるをえなくなるとは思いもしなかった。

今日の母娘の会話

娘「もう聞き飽きたわよ。耳にタコが出来てタコ焼きができるかも」

母「あ〜ら。そのタコ焼きご馳走してね。」

 

1月23日(木)

朝、起きた時は降っていなかったが、8時ごろに せば 正義で天気の話題になる。「とっても寒い、雪になる」という話を聞きながら、東風を打ってふと窓の外をみたら雪が舞っている。一時間ほどの間であっという間に積もる。昼頃には雪だるままで作れるほどに。

昼から雨に変わったが寒い。

雪は好き。雪のときは傘をささずに歩きたい。舞い落ちる雪に顔をさらすのも良い。

と、ここまで書いてきてバカなことを言ってしまおう。不吉だ。東風は途中で落ちたし、雪ですべったし。

日頃は、殆ど迷信っぽいことは気にしないのだが。

なんと、切ない母心♪(*^^*) なるようになるだろう。

 

娘は、髪の毛を黒く染め直すのか、チャパツの写真を撮り直すのか、興味がある。

いいんじゃないのぉ?そのままでで、と言った私に「マイナスと考えられる事はできるだけ回避するのが普通でしょ。」と娘にたしなめられる。なんと常識人の娘だろう。だって、浪人でチャパツにして、ピアスを開けて喜んでいたのも、あなたの個性ではないか、と言いたいが。ま、言ったけど、一笑に付された。

中途半端な娘だ。遺伝だから仕方がないか。

 

1月22日(水)

くどくどくどくど、とやっぱりあれこれ頭を悩ませる。何にかと言えば娘の受験関係だ。

しまいに「あなたが、もう少し点数を取っていたらいいのに。どーーして失敗するのかしらね」とか「マークミスはないかしら」など、どうにもならない言葉も出てくる。そういう親のひどい言葉に、苦笑いをしながら「それは考えても仕方がないし」と軽くいなす娘。

 

本日の午後からネット上で予備校がする、判定システムが立ち上がる。

点数を打ち込むと、選択した大学の合格確立が万歳をしたり、泣いたり、の絵で表示されるものだ。

結構楽しめる。万歳している絵を見るとニヤニヤしながらも、「万全じゃないし。Aで落ちる者もいるし。」等など。結果として上記の言葉が出てくる。センターの平均点の上下、難易度の変化、来年以降の受験方法の変更など、考えたらどうにもならなくなる。

とうとう最後には、「ねぇねぇ、相談だけど。安全を期して後期は学科を変えない?」などとも言い出してしまった。

さすがに娘に「何で、わざわざやりたい事を変えないといけないの?意味ないじゃない」と言われる。そりゃそうだ。

 

1月21日(火)

いちゃもん日記に、受験生の母として今年は不謹慎である、食べ物の話題しかしない、とのいちゃもんがついていた。

母としては不本意ながら、頑固を通して、昨年は浪人を選択した娘。

母がいくらどう言おうがどう心配しようが、結果はついてまわるのであり、また、娘は娘として様々に相談はしてくるが、所詮決定は娘しだい。決定が自分自身でなければ、首尾について納得ができよう筈もない。

とまぁ、受験生の母二年目ともなれば、悟っても来ると言うものである。

しかし、ひたすらオロオロしているのは、18日の日記を読んでもわかる。どうしようもなくともオロオロとするのはこれもまた、親のさだめなら、どうせなら楽しんだ方よい。

いっそのこと、娘が第一志望をどこに提出するのかの賭けをしても良いくらいかもしれない。しないけど。。。

二浪だけは絶対にさせない!!!と決めている。どんなに頑固な娘でも、私も負けずに頑固になる。

だって、浪人しても、お勉強しないのがわかったんですもの・・・・。

去年もセンターを失敗。今年も失敗してる。二度ある事は三度ある。二浪をしても来年もきっと失敗するだろう。失敗ではなく、お勉強をしていないが故の当然のミスだろうが。

 

と、上記を書いていたところで、娘が覗き込んできた。慌てて保存をして消してやった。

娘は、頬をふくらませてブーブー言っていたが知った事じゃない。他人は読んでも家族には読ませたくない物ってある。

正義が時々面白い事を試みて、娘に受けるかどうか見せてみろ!という時があるが、その時も、その場所だけ見せてURLを見られないうちに慌てて飛び出る。

母としての権威の問題である。と、そう言った所、「権威なんかない!!」と娘が言った。ふん、正義も同じ事を言う。

 

1月20日(月)

ぽぽ は幸せだったと思う。

朝起きた時に、すでに止まり木から落ちた状態だが、頑張っていた。その後私の膝の上でくるまりながら、息子にも娘にも挨拶でき、2時間の看取りを受けた。

7年半の命を、日々人と話しキラキラ光るものに興味をひかれて生きてきた。メガネは恰好の遊ぶ道具だった。

寝場所は鳥かごだが、カゴから出すと、羽根を切る事もなかった為に、好き放題家中を飛び回っていた。

おはようと呼びかけると、おはようと甲高い声で返してきた。

死ぬ時も人に見守られていたかったのだろう。真夜中に止まり木から落ちた後に、必死でヒーターの傍にゆきうずくまっていた。

安らかな暖かな最後を送ることができるようにしてくれた正義に感謝する。

8時24分、私の膝の上で楽しかった7年半を終わる。

 

1月19日(日)

浪人娘の受験本番第一弾のセンター入試が終わる。

こういう平穏無事に過ぎて欲しい時に限ってなにか起きるものだ。

今日起きたのは、老衰ポポのこと。

お昼を食べに帰ってきた娘が、ポポを籠から出した所、飛ぶ事も出来ず、それどころか歩くのもできずに、こけている状態。

思わず傍にいた家族全員青ざめ凍りついた。急いで娘そっちのけでゆで卵を作りに台所に走る私。

少時して、台所にいる私に、娘がウルウルおメメで「行ってきます。」

「ポポも良く今まで頑張ったのだからあなたも、ポポの頑張りに応えてあげてね」と、送り出す。

ポポは、一ヶ月前からほんとに危なかったのだ。獣医さんに行く、電気アンカ・電球で暖房をする、などしたが、いつ落鳥してもおかしくない状態だった。可愛がって育ててきた手乗りインコなので、もしもの事があったら娘のショックはどれほどか、と心配していた。

せめて受験が終わるまでもって欲しいけど無理かしら、と思っていたのだ。

少し前に、正義から「温室用ヒーターがいい」という助言を貰いすぐ買いに行き、たしかに獣医さん効果よりも、ヒーターを入れてからは大分良くなってきた。もっと早く正義に聞けば良かった。

 

なのに、試験当日にこのような事が起きる!!

お願い持ち直して!! 

一時間おきに手から餌をやり、歩く事が出来るまでに回復。試験の合間の休憩時間を狙って、娘に携帯メールを送る。「持ち直したわよ」と。

ところが帰ってきた娘、ポポを見てホッとした顔をした後に、試験の報告もそっちのけで、あちこちウロウロ歩き回っている。

どうしたのかと思った所「携帯、お昼に家に忘れて行っちゃったの。見つからない〜」 送ったメールは結局役立たず。

おっちょこちょいまで遺伝していたのか。。。。

 

夜10時 ポポに今日最後のお食事を上げるが、止まり木も私の指もわからずに、食べながら私の指で寝てしまう。

鳥かごの中の床から止まり木までも、飛び上がれなくなっている。

止まり木を一番下までおろし、暖房を強くして下の部分で30度くらいになるように調節。がんばれ!!ポポ

 

1月18日(土)

今日・明日は家で母待機である。浪人娘のセンター会場がすぐ近くの大学なので、お昼ご飯も食べに戻ってくる。試験の間の50分の休憩にも家に戻ってくるというが、それは流石にやめたと電話をかけてきた。良かったと本心から思う母。一日に数回帰ってこられてはたまったものじゃない。自分が試験を受けているのなら、ある意味「しょうがない」と思えるのだが、娘が受けているのではなんとも言い難く困る。

PCに向かっていても「あ、始まった」「あ、そろそろ終わったな」「うわ、数学はどうだったんだろ」と、考えても詮無いことが意識をよぎる。

ずっとずーぅっと以前に父親が娘の代わりに女装して受験に行った、という笑い話ならぬ事実が新聞種になったのを思い出した。

ま、そんな中で今日も、訳がわからなかったPCの設定を教えてくれたり、親国士ロンで飛ばしてくれたりの正義に一日お付き合いいただいた。ごちゃごちゃと混乱しながら(自分でも後で見直すと、間違った日本語で、訳のわからない質問をしている)再インスト時のブックマークの復活を教わった。

 

先週久々にあった銃。それ以来ここを読んでくれているのだが、出勤拒否めいた記述に心配してくれた。「俺ってやさしいから」と。

たまぁにはそういうこともある。身体が疲れたりしているとあれこれとなるものです。心配してくれてありがとう。

いつか銃よめに天使の心得ご指南したいと思っています。(*^^*

 

1月17日(金)   おお!鬱だ!!!

娘の目下の一大関心事は成人式である。「来年は私も成人式なのよね。歳をとったぁ。」と一日に数回言ってはため息をつく。

「オバン!!」と言うと、「本物のオバンに言われたくない」と返される。

電話での『振袖はいかが?』攻撃の撃退も堂に行ったものである。「母の振袖を着ますから」で、ニンマリVサイン。

未成年者に撃退されるな、勧誘のプロ!

浪人娘としては成人式より目前の受験を問題にして欲しい。

 

 

今朝は無事に出勤した。当たり前のことなのだが、あらためて昨日のことはなんだったのだろうか。

子どもが産まれてから20年。子育て&仕事で手一杯だった20年とも言える。

家庭も仕事も100%などと言える状態じゃなかったのは充分承知。せめぎあいの中で妥協、それなりにしか出来てこなかった。

 

合理的手抜きをせざるを得なかったが、それでも気分的にはキリキリした状態だったのじゃないだろうか。

今の自分でその頃を振り返ると「二度と出来ないな」と思える。

出産予定日の2週間前まで勤務をし、産休後生後二ヶ月から無認可保育園に預けての職場復帰。

引継ぎもあり、出産も早まったから、実際は完全に休んだ翌日に出産だった!

保育園・学校の役員も勤めてきた。子どもが小さい間はインスタント食品は使わず手作りの食事。

手抜き簡単離乳食なら任せて、30分で出来る食事?簡単よ、と言えるほど、あちこちで手抜きをして物理的に足りない時間をやりくりしてきた。上の娘が3歳になった時に、久々にハードカバーの専門書を本屋で購入した時にジーンと感激したのを覚えている。

それほど、職業についても子育てにしてもギリギリだったのだろう。

幸い、そういう日々の積み重ねのなか、子どもも19歳と17歳。時間はちゃんと経っている。

子どもも今のところは素直に育っている。

問題は、といえば素直すぎる幼すぎる事。過保護!と言えるくらいに子ども最優先できたのだから当然かもしれない。

その中でも日々を満足して来れた。最近までは。全部やってこれたのだから幸せだ、とも思っていた。

この数年は、外に出ることも出来るようになり、沢山の人々と出会う機会も多くなった。

言い換えれば、自分が所詮それなりだという事に思い至る機会が多くなったとも言える。

私自身に何がある?自信をもって誇れる何がある?家庭人としても、職業人としても中途半端じゃないか?

かといって、片方に集中していたとして、誇れるだけのものが自分に出来たか、というとそれも頭をかしげる。

努力という言葉は私の辞書にはない。いつも逃げて、それなりにやってきてしまったのだから。

 

なんだ、自己喪失か。アイデンティティのゆらぎじゃないか。

そういう落ち込みが昨日の出社拒否になったのか。

これは、原因がわかってもどうしようもない。

なるほど老人性鬱病かもしれない。

 

孫の守だけが楽しみ、嫁いびりだけが楽しみという老後にならないように気をつけよう。

その前に、息子にお嫁さんは来るのだろうか、心配だ。

10年後になっても息子の世話をするのだけは勘弁して欲しいな。

早死にして老後はないかもしれないけど。

 

1月16日(木)

朝、出勤の時間になった。

さって仕事仕事、と動こうとしたのだが、どうしたのかな。足が動かない。気持ちが動かない。

あれこれときっかけとなる事をしようと考えるが、身体が動かない。

いつの間にか、電話機に手が伸びる。電話を一本いれて、寝転んで天井をみるとホッとした気持ちがする。

サボった!!!!!むぅ、登校拒否ならぬ出勤拒否か。これは果たして何なのだろう。

昨日までを考えても、身軽に身体は動いている。

贅沢というか、堕落というか、なんというか。

 

1月15日(水)

九連宝燈をあがった。長い東風生活で初めてだ。

あがったのは昨日だったのだが、日記を書いていて何か忘れてるなぁ、とは思ったのだが思いつかずに「ま いいや」とアップした。

今日読み返したら忘れるにことかいて。(-_-;) 九連宝燈を忘れないで欲しい、自分。

写真もとったのだが、ちゃ助の設定が悪かったようで保存されていない。改めて設定しなおしたが、もう二度と上がれないだろうな。

白状します。あがるまで九連とは気がつかなかった事を。

 

画像がないのが残念だけど結果だけ貼っておく。

===== 三人打ち:Rate1600,試合数100以上 466 開始 2003/01/14  =====

  持点27000 [1]徳爺 R1687 [2]ひめ丸 R1603 [3]kiramasaru R1620

  1 0本場(リーチ0) ひめ丸 2900 徳爺 -2900

    30 二飜ロン 平和 リーチ

  1 1本場(リーチ0) 徳爺 1000 ひめ丸 -2000

    流局

  2 2本場(リーチ1) 徳爺 6100 ひめ丸 -5100

    70 二飜ロン リーチ ドラ1

  3 0本場(リーチ0) kiramasaru 9000 徳爺 -6000 ひめ丸 -3000

    ハネ満貫ツモ 平和 リーチ 門前清模和 ドラ3

  1 0本場(リーチ0) 徳爺 2300 kiramasaru -1300 ひめ丸 -1000

    40 一飜ロン リーチ

  2 0本場(リーチ0) ひめ丸 5200 徳爺 -5200

    40 三飜ロン リーチ ドラ2

  3 0本場(リーチ0) ひめ丸 24000 徳爺 -16000 kiramasaru -8000

    役満ツモ 九蓮宝燈

  ---- 試合結果 ----

  1 ひめ丸        +34

  2 kiramasaru    -3

  3 徳爺          -31

----- 466 終了 2003/01/14 -----

 

1月14日(火)

今朝は、最後に1600陥落した。正義が偉そうに、また皮肉たっぷりに「いない間に1600に回復しておきなさい。できるかな」と言い残して出勤した。素直な私は次の卓で、命令どおりに回復しておいた。

 

でも、またまたカレーを焦がした。。。。

跳ねが出来た時に、ふっと気がついたピチピチする台所からの音。自分のツモ番が終わった途端にすっ飛んでガスを止めた。戻った時には、他の人が上がって、ネクストを待っていた。内心、一区切りがつくまで待つか、その場ですっ飛んで行くか迷ったが、鍋をこれ以上ダメにしたくないので跳ねを捨てた。ごめんなさいと言いながらも、迷惑をかけなかったようなので安心した。

 

私が1600ないと、実は正義に対してごめんなさい、なのだ。わい卓で打つと、私と知らない人のRが少ないものだから、正義は2位でもRは減る。トップでもほんのちょっとしか増えない。まぁ正義が『お馬鹿正義』で打つ時は、目的はただ一つ、私イジメだけだからあまり申し訳なく思う必要はないが。

ま、これで5試合か6試合の余裕ができた。

 

1月13日(月)

PCを起動させたら、銃薔薇がいた♪とっても久々。久々面子で第二で打つ。観戦にも珍しい人が来る。

Rが2000を割ってるので、「あら?彼女がそんなに落としたの?」と思ったら、以前のは無くして50試合程の新規だそうだ。

50試合で1900後半ですか、はいはいはい、という相変わらずの二試合。

新婚ほやほや、社会人となったお祝いに2000点を献上しておいた。

「俺ってつよすぎるね。ごめん」等と相変わらずの素肌に皮ジャンの雰囲気を醸し出しながらも、小一時間久々お喋りをしている中で、新婚の感想に「おれのよめさんだぞ どうだ!」っと言う言葉をサラリと言う。

一途な彼女への思いを実生活でも、そのまままっすぐに見せているのだろう。

気持ちのよいナイスガイぶりで、仕事も家庭も東風もやっているのが嬉しい。

 

銃も承知という事で、今朝の会話の一部を紹介。(*^^*) 

08:43 >himemaru< 一緒に住んでた頃と、結婚してからじゃ 

08:43 >himemaru< やっぱり違うんでしょうね

08:43 <Ju-> いや

08:43 <Ju-> いまんとこいっしょだなぁ・・

08:43 >himemaru< はため からは 一緒みたいでも

08:43 >himemaru< 気の持ちようが

08:43 <Ju-> あぁそれはちがうな

08:43 <Ju-> おれのよめさんだぞ どうだ!的な

08:44 <Ju-> ウム

08:44 >himemaru< おおおおお!!! 究極ののろけ!!!!!^^

08:44 <Ju-> あぁなんか

08:44 >himemaru< いいわぁ

08:44 <Ju-> 日記におれ

08:44 <Ju-> 出てくるんかなぁ・・・・

08:44 >himemaru< 今日 書いちゃう^^

08:44 <Ju-> ぐぇー

08:44 >himemaru< 「おれのよめさんだぞ どうだ!!!」 その言葉

08:44 >himemaru< 気に入った

08:44 >himemaru< 銃 いい子 いいこ

08:45 <Ju-> ふふ

08:45 <Ju-> 愛してるからなぁ

08:45 <Ju-> こんくらいでいい?

08:45 >himemaru< きゃ。いいわ いいわ

08:45 <Ju-> ぎゃはは

08:45 >himemaru< もっと

08:45 <Ju-> ・・

 

1月12日(日)

今日は、どうしたのか東風が微笑んでくれて1600を行ったり来たり。夕方は1620で終了できた。5試合分の余裕がある。

まぁ負け始めたら、5試合分なんかあっという間に無くなるのだが。何はともあれ、「ぶっとばす」と正義の頭に血を上らせた事が、数回あるから良しとする。^^ひさびさに、フォークさまとも打てたし。

 

午前中に、息子がお友達の家訪問、と喜んで出て行ったのだが、小時して帰宅。両方の掌が、真っ赤に擦り傷。大きく皮もむけている。

自転車の前カバーに足がからまって転んだとの事。私が動くより早く姉娘が救急箱に手をかけながら「消毒する前にキレイに洗ってきなさい。痛いだろうけど、ちゃんと洗うのよ」と声をかける。

薬をつけてあげながらも、「いたいでしょ。がまんしてね。すぐだから」と、優しい声。息子は「痛覚無くなったみたい。痛くないよ」とやせ我慢。傍で私が、広く剥けた皮を切ったり、息子の髪の毛をなでたり、服の汚れを払ったり。

母と姉が二人がかりで息子を「いい子、いいこ」している図。17歳の男子高校生が対象だとは、この記述からは到底思えないだろう。

ひさびさの「いい子、いいこ」に息子は、かなりの擦り傷ながら、顔はニコニコ。「嬉しいなぁ」という思いが簡単に読み取れる。

マザコン・シスコンと言えばいえ、である。いちゃもんつけられても気にしない。

包帯が切れていたのだが、娘が急いで買いにゆき、両方の手に真っ白に包帯を巻いて、それでも満足気にお泊りに出てゆく息子。

日頃、弟に口うるさい娘の今日の行動に、嬉しく和んだ母でした。

 

1月11日(土)

ただいま。都心に行き、午前様にならずに無事帰宅。

今日の午前中、正義は東風をちょっと打たないか、と誘ってみたら文句タラタラだった。

文句タラタラいう所から、今日中に上海日記がアップされているだろう、と簡単に推測できたので、楽しみに、帰宅してメールチェックを入れたすぐ後に、期待の上海日記に飛ぶ。

月落ちて烏啼き霜は天に満つる』の部分は記憶から浮かんできたが、後はまったくわからない。冒頭だけでも浮かんできたから、まぁいいや。

実は、私には以前から疑問があったのだ。それは北京ダックは今まで幾度か食べているがしか見ない。身はどうなってるの???という当然の疑問である。正義にその疑問をぶつけた所「あほ 食べるに決まってんだろ」。そりゃそうだろう。でも見た事が無いから聞いているのだ。上海日記の北京ダックも、やっぱり写真はだけだった。身を見てみたい。白いのかしら?赤いのかしら?黒いのかしら?それとも、いっそ青いのか!

カブトガニ!食べてくれば良かったのに!!感想を聞いてみたかった。

 

昨日の日記の訂正

正義の日記には「ぐちゃぐちゃ日記」ではなく、「ぐちょぐちょ日記」と書いてあった。もっときっちゃなぁぁぁいい語感だった。

無意識にそのきっちゃなさを、私の目も避けて、受け入れやすい言葉に変換していたようだ。正義が放つ言葉の語感に、漢詩の格調高さを身に付けて欲しいものだが、無いものねだりはしない事にする。

 

1月10日(金)

どうやら正義は、私が彼の悪戦苦闘日記につけた「いちゃもん日記」という絶妙のネーミングに対抗するべく、この日記を「ぐちゃぐちゃ日記」と名づけたいようだ。正義の判断の誤りはあまたあり珍しくもないが、このネーミングも大いなる誤りの一つである。

「ぐちゃぐちゃ」なのは、もう一つのほうの「ねぇ 正義」のほうなのだから。それにぐちゃぐちゃという響きはきっちゃない。

ここは、私が、時にはネタに困りながらも、毎日書く事に意義があると、可愛らしい小学生の頃以来の日記を、中断することなくつけているだけなのだから。

すでに8月の中頃から毎日書きつづけ5ヶ月経過。なかなかである。家計簿もちゃんとつけている。2ヶ月目に入った。

あえて別名をつけるなら、書きちらし日記とでも名づけるのかな。無責任に書き散らしているのだから。

 

念の為正式名称を書いておく。「お馬鹿な正義の日々」日記である。

 

1月9日(木)

インターネットを始めてから、6年目を迎えた。丸々5年が過ぎたことに、今朝気がついた。

最初は、娘から起動・終了だけを教わった。できるのはクリックと文章の打ち込みだけ。それでも東風は出来た。

何か通常と違うことがあったら、そのままにして誰か帰ってくるのを待っていた。

 

URLを東風のチャット欄に書かれても、コピー&ペーストも知らなかったので、教わったサイトに辿り着くことも出来なかった。

「初心者だから、わからない。ごめんなさい」が決まり言葉だった。最初に覚えたショートカットはコピー&ペーストだった。

唯が独身の時は、さんざん家に来てもらい、あれこれとやってもらった。我が家のPC環境は、唯が構築したものだ。

東北もいろいろやってくれた。

その頃は、来てもらって、あれこれやってくれても全然見ようとも思わず、全ておまかせ状態だった。その代わりに台所で動いていた。

PCの単語も知らないおばさんだから、説明をしようにもできなかったのだろう。

普通丸々5年も何かをしていれば、曲がりなりにも詳しくなっている筈なのだが、PCと東風に限れば、頭をひねらざるを得ない。

断言してどうする、という突っ込みもあるが、真実だから仕方がない。

 

PCは、東風に比べたら、それでも格段に進歩はしている。私の周辺に限れば「できる」部類になっているのが、自分でも笑える。

私の周辺のPC利用環境がわかるというものだ、かなりハズカシイと言える。

正義の友情好意優しさの発露である「無料講習」のお陰である。

(赤字部分は、いちゃもん日記を読んで、ニンマリして色を変えた。9日23時です♪)

問題が起きると、チャットを通して、例えばDOSまでやらせられて、その後説明してくれる、の繰り返しの中、チンプンカンプンではあるが、100言われたら、1くらいは頭に入った。

ま、正義にしてみたら「あれだけ教えてこんなもんかよ」と、ふくれるかもしれないが、それは正義の教え方が悪いせいではない。

安心して欲しい。それどころか、優秀な教え手だと太鼓判を押す。

この年齢まで、「機械オンチだから」でどんな機械も一切いじくる事無く過ごして来た私だ。

自慢ではないが、今でも、ビデオ予約はできない、ケーブルTVをどう見るのかは、知らないという状況だ。

その私が、PCを業務に利用している、ちょっとしたトラブルなら原因も考えようとする、という事は、大変素晴らしい事なのだから。

私を知っている人達にしてみたら、ただただオドロキなのだから。

 

PCに触って6年目に入った事に気がついて、さまざま面倒を見て頂いている方々に感謝。

 

1月8日(水)

わぁい♪ ポチが部屋の中を散歩していたら、一日中ゲームをしている息子の「うわーー!!」という声が響き渡った。

プレステ2のコントローラーのコードをすっぱりと噛み切られていた♪

残るコントローラーは一本だけ。そこにも歯型がついているのを見つけた息子は「今度やったら野良うさぎだからな!!」とポチに言い聞かせている。ふん、母がパソコンのコードを齧られた時に、ニヤニヤ笑っていた因果だと思う。お年玉を貰ったばかりなので、どーーしても必要ならご自分で買うように。

息子と私の二人の抗議の声で、広い遊び場をポチに確保する為になんとかして、と娘に泣き付かれた主人が、ポチの散歩用に部屋を大きく区切る網を買おうか、と提案していた。

私のコードは3箇所にビニールテープが巻いてある。

満7歳のインコのポポは、具合が悪く獣医にかかっており、朝晩、盛大な抗議の声とひっかき噛み付きしながら薬を服用中。

綺麗な羽根をしていたのだが、ふくれて艶もなくなっている。老衰なのかもしれない。平均寿命が7歳から8歳だから。

離乳食から育て、言葉も喋る手乗りインコだけに、薬の服用をするようになってから、手から逃げるようになったのは、薬が余程イヤなのだろう。

老衰だとしたら、あんなに嫌がる薬の服用は、かえって可哀想。1ヶ月も服用しているが、効果は殆どないのだから。

 

ペットを飼うといろいろとある。

 

1月7日(火)

あっという間の7日。松の内も終わる。もうお正月じゃない。

そろそろ頭も切り替えないといけないが、食生活では、いまだに買い置きに頼っている。随分買いこんだものだ。

 

慣れた生活がずっと続くものだと思い込んでいる。

昨年退職した、今年3月退職する、との添え書きのある賀状が相次いで届く。

昨年退職した方からは、丁寧な自筆の賀状である。

 

私も、いつの間にかずっと前に若くして死んだ母の年を迎える。人の明日はわからない。

 

1月6日(月)

昨日の夜、駒のメッセが上がった。今年初めてだったのでご挨拶をしたら「4人打ちをする?」との誘い。

久々なので、喜んでOK。笑喜会のチャンネルにお邪魔する。他に打つ人いないかな、との話で正義を誘う。

チャンネルに入ってきた正義の会話を見ていたら、しっかりよっぱらっていた。

最初はよくわからなかったが、笑喜会の定例会「横綱戦」だったらしい。幾度か観戦した事がある。大会なのにお笑いお喋りOKと言う、珍しい大会だ。駒の人徳だろう^^

会の面子が揃わない時に、予選の時点ではお客さんでも可、と言う事。2卓に分かれて予選。私は、Pにいじめられて、ラス。

他で打っている正義はどうか、と急いで観戦に行くと、はぁ・・・・正義までもラス。(-_-;)

脇役に徹したと言えばいえるが、いくらヨッパだったとはいえ、揃ってラスは恥ずかしい。

 

1月5日(日)

明日から仕事。今日は最後に思いっきり の〜んびり した。昼寝もしたし。

東風をしたり、正義上海日記を読んでは、一生懸命作っている正義をうるさく呼び出しては、注文つけたり質問したり。

おこたでノンビリしながら上海旅行をしていた気分になれた。これからも休みの度にあちこち旅行して日記を書いて欲しい。

 

私は、仕事をしていて良かったのかもしれない。そうじゃなかったら一年中怠けほうけていたかもしれない。

 

暮に沢山イヤと言うほど料理をしたから、夕食の支度もかなり楽なので、3・4・5日は思う存分ゆっくり出来たのが嬉しい。

 

1月4日(土)

9日間あった休みも、残り二日でおしまい。名残のぐてぐてぐてぐて

食事の支度は、残りがあるので楽だ。豪勢なメニューになる。

 

正義の上海お馬鹿のんびり日記の初日分がアップされ、説明を受けながら写真を見た。

がっつきと言われながらも、空港の天井・上海の空は、すっ飛ばして真っ先に見たのはレストランの卓上。

実は、正義が「○○くった。うまかった」と考え及ばない食材を言うのを聞いていた私の頭には、上海料理=「悪食」料理(ゲテモノ料理)という、イメージができつつあった。でも並んだ豪勢な料理の写真を見て一安心。正義の言っている事からゲテモノ料理などと思いこんでしまって上海料理に申し訳なかった。

蛇の皮、私も食べてみたい。ぷりぷりしているのだそうだ。河豚の皮と同じかなぁ。

 

1月3日(金)

朝起きると玄関はぷーんとお酒の香り。

思い出した。誰かが帰る時に一升瓶を落として割り、玄関がお酒びたしになっていた事を。

 

昨日の朝から箱根駅伝に夢中。あっというまに一区間が終わる。

あまりスポーツ番組は見ないのだが、思わず心の中で声援をしている自分。

 

食べるのにも飽きてしまった。夕食はさっぱり系がいい。

肉料理が少し(我が家なら二日分くらいは充分)残っているのでそれを暖めて出し、自分は明太子などであっさりすませよう。

 

1月2日(木)

目が覚めたらうっすら雪化粧。本当に初雪だわ。

馬坊と初打ちしていたら、正義が寝ぼけマナコで起きてきた。

3人で2試合。馬坊が2連勝。正義が2連敗。わぁい♪ 馬坊への大晦日の雪辱はならなかったけど、私はニコニコした。

(最初の試合は、私がトップだった。訂正しても良かったが、初間違いも記録しておこう。本当は、馬坊、私がトップを分け合った)

 

正義は上海で連日、豪勢な(!)料理とお酒で過ごしてるから、身体全体にアルコールの下味がきっちりついたのではないだろうか。

きっと脳みその細胞はアルコールに浮かんでいる事と思う。

珍しいお料理は食べるだけで、食材として料理されずに、無事に帰国して上海日記を上梓して欲しい。

正義のへのあくなき好奇心にはただただ敬服である。今日はどういうお食事をしたのか、楽しみだ。

まぁ、出版はしないでいいけど。でも どうせなら『上海食べ歩き日記』なんて如何?Webで反響をみましょうよ。

 

夕方5時半頃から新年会。

ドタキャンがあったりして結局14人。(夜7時、実家に戻ってる彼女から電話があったので、これから青森にという人もいた)

メニュー

前菜盛り合わせ=ローストビーフ・スモークタン・テリーヌ・生ハム

お節料理   =紅白かまぼこ・伊達巻・黒豆・きんとん・数の子・松前漬け

主菜     =ミートローフ・海老の姿焼・ローストポーク・スペアリブ

煮物盛り合わせ=きんぴら煮物・蓮根煮物・里芋と人参の煮物・こんにゃくのヒネリ煮・ベーコンの昆布巻き

お寿司

アルコール  =清酒久保田・清酒八海山・焼酎吉四六・ビール・シャンパン・チューハイ (すべて差し入れ)

 

10時半頃ふっと外を見ると、我が家のまん前の道路で、この寒空にアルコール取締りのお巡りさんグループが赤いランプを振っていた。

どれどれと、皆で暫し見学。私が「かわいそうだから、差し入れ持ってゆく」と言うのを、皆に止められました。

数人に電話連絡。我が家を狙っての取り締まりか!!??

 

1月1日(水)

新年あけましておめでとうございます。

皆さんの上にたくさんの幸せがふりそそぎますように。

今年こそは、正義にいじめられることがないように頑張りたいと思います。応援おねがいします。

 

10時にお節を祝う。

お雑煮・お汁粉

紅白かまぼこ 伊達巻 黒豆 子持ち数の子 海老姿焼 きんぴら 松前漬け 昆布巻き 蓮根煮物 生ハム

 

1時間かけてのんびり食事。息子は相変わらず起こさないと起きなかった。

「お年玉無し!!」と下で言っていたら、だらぁんと降りてきた。

 

本日泊りがけのお客さん。「仕事が忙しくて、毎日外食だから」と、丸二日間かけて作った料理が喜ばれた♪

キンピラとか、蓮根の煮物に箸が伸びる。彼のお土産は河豚。明日集まる若者達とフグチリを頂くことにする。